「党の言葉を聞け」 中国共産党創立100年/「蘋果日報は死んだ」 廃刊の香港紙、最終号で暴政非難/「過去は書き換えられない」 プラシド・ドミンゴ氏

「党の言葉を聞け」 中国共産党創立100年、街角彩るプロパガンダ


<【6月24日 AFP】(写真追加)7月1日の中国共産党創立100年を前に、中国各地で大々的なプロパガンダ(政治宣伝)運動が展開されている。横断幕や屋外看板の数々は、人民に「文明的」な生活を送り、当局に従順であれと、くぎを刺す。>
<北京の通りには、「党の言葉を聞き、党への恩義を感じ、党と共に歩もう」と呼び掛ける看板があった。>
<共産党のプロパガンダは中国では日常生活の一部であり、街角では忠告や激励、標語を記した真っ赤な掲示が一年中見られる。だが、創立100年が近づくにつれ、掲示の数はここ数週間で大幅に増加した。>
<京の繁華街の大通りでは、どこの街頭ビジョンにも、ヘルメットをかぶって銃剣を手に叫ぶ人民解放軍兵士の一団の映像が流れていた。真っ赤な映像の下部には、「魂があり、能力があり、気骨のある、道徳的にまっすぐな新世代の革命兵士を育てよう」と書かれている。>

良い暮らしをするためには、共産党で出世するのが一番。
共産党員として這い上がるには、軍に入って頭角を示すのが一番だ。
軍事費は増えるばかりだが、そのお金はどこから得るのか。
お金儲けの才を持つ人間は出過ぎると打たれるので、海外へ逃れる。
才もなく、党の言葉を素直に聞く人間は、使われる側になり、ますます格差が拡がる。
スローガンだけでは納得できない。
生活することが大事だ。
不満をどのように解消するかが政治家の役目。
この百年不満が爆発してもそれを抑えることができたが、次の100年はどうなるのか、予想がつかない。

「蘋果日報は死んだ」 廃刊の香港紙、最終号で暴政非難


<【6月25日 AFP】香港の民主派日刊紙「蘋果日報(アップル・デーリー、Apple Daily)」は24日、最終号で自分たちは「暴政の犠牲者」だと訴えた。>
<香港各地で24日、蘋果日報の最終号を手に入れようと人々が販売所に殺到し、行列をつくった。発行予定100万部と発表されていたが、多くの販売所で数分で売り切れ、新たな入荷を待つ状態となった。>
<並んでいた30歳の女性はAFPに「とてもショッキングだ」と述べた。「当局は国家安全維持法を使って、上場企業を2週間で解体できる」 >

共産党に逆らうと法律を変えてでも潰される。
少数民族の自治区も逆らうと同様かそれ以上の仕打ちを受ける。
中国の長い歴史の中で漢民族の王朝が異民族に変わった例が少なくない。
元も清の例があるだけに、漢民族以外を恐れているのだ。
共産党は自由が浸透すると14億人の国が分解するのを恐れている。
そのためには、小さな不満の芽を摘んでおく。
香港はそのような存在なのだ。

「過去は書き換えられない」 プラシド・ドミンゴ氏 AFPインタビュー


<【6月25日 AFP】セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)疑惑の渦中で2年前、米国での活動に幕を引いたスペインの伝説的オペラ歌手、プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)氏が欧州の舞台に帰ってきた。80歳の今、自らの名誉を回復しようと決意している。>
<ドミンゴ氏は、1980年代にまでさかのぼる疑惑を一貫して否定。自分は「誰に対しても攻撃的に振る舞ったことはない」と述べ、さらにいかなる訴訟も起こされたことはないと主張した。それでも、自分の行いを「不快に思った」同僚がいるかもしれないとして謝罪すると、米ロサンゼルス歌劇場(Los Angeles Opera)の総監督を辞任し、米国での活動を事実上終了した。>
<当時を振り返り今、ドミンゴ氏は「非常に困難な数か月だったが、すでに過ぎ去った。とても誠実な形で、報道陣との接触を再開できてうれしく思います」とAFPに語った。「もっと早くこうするべきだった。全てがメディアによる裁判でしたから」>
<その中で同氏は、セクハラ発言は「不当で」「根拠がない」とする従来の主張を繰り返していた。 ただ、こうも付け加えられていた。「今日、われわれは現在の視点で過去を見つめるべきだ。新しい感性や良識を招き入れるために、こうした問題を突き詰めるのは正しいことだ」「われわれの過去は書き換えられない。状況を踏まえ、過去を理解し、必要なら厳しく批判するべきだ。過去を破壊することには意味がない」>
< ドミンゴ氏は引退の時期を考えていないという。「人生を4回生きたとしても、歌ったことがないオペラがたくさん残るはずです」「肉体的にもう無理だとなったとき、例えば自分の声が言うことを聞かなくなったときには、やめるでしょう」
コロナ禍が新進スターのキャリアを妨げていると懸念するドミンゴ氏。それでも、豊富な才能があふれ、不変の人気を持つオペラの未来を楽観していると言い切った。
「次のパバロッティ、カレーラス、ドミンゴを決めるのは、それが分かる耳と目を持つ聴衆だ」 >

当時の視点で見れば普通に行われたことが、現在の視点でみれば、ハラスメントに当たる。
そのことを今さら糾弾して何になるか、と思う一方で反省の上、現在はそれをしないことが重要だ。
そろそろ還暦に近づいてきた。
自分の人生の中で、その当時は許されていた(見逃してもらった)ことが、現在はダメなことも少なくない。
今後、時代に合わせて自分を変化させることが生きていくための知恵ではないか。

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