日本対フランスのテストマッチ第2戦は15-20で惜しくも敗れた。
この試合は60分までリードしていて、逆転された後、トライで同点したと思ったがTMOで取り消された。
これでフランスからの初勝利は持ち越し。
テレビのチャンネルを替えると、
伝説のコンサート 7/9(土)総合「中森明菜 スペシャル・ライブ 」
をやっていた。
画面が今のテレビより横幅が短い。
時代を感じる。
途中で買い物ついでに期日前投票に出かけた。
大阪選挙区は定数4名。
ほぼ決まりと言われてる。
投票に行っても仕方がないと言えばそれまでだが、選挙権を戴いてから国政選挙の棄権はない。
これまでわら半紙(A5版)だった投票済証明書がお洒落になった。
名刺大で片面がコンクールで入選した作品で8種類から選べた。
大きく考えが変わったものだ。
これまで貧乏市でお金がないと思っていたがやればできる。
しかし、こういう取り組みを宣伝しないと投票率が増えないよなあ。
お役所のやることはどこか抜けているが今回は頑張ったと評価しておく。
安保理、1分間の黙とう 安倍氏とドスサントス氏追悼
<【7月9日 AFP】国連安全保障理事会(UN Security Council)は8日、銃撃され死亡した安倍晋三(Shinzo Abe)元首相とスペインで死去したアンゴラのジョゼ・エドゥアルド・ドスサントス(Jose Eduardo dos Santos)前大統領を追悼し、1分間の黙とうをささげた。>
<国連のアントニオ・グテレス(Antonio Guterres)事務総長は報道官を通じ発表した声明で、安倍氏の「恐ろしい殺害に悲嘆している」と表明。「安倍氏は、多国間主義の強固な擁護者、尊敬される指導者、そして国連の支援者として記憶されるだろう」と述べた。>
安倍氏死去は「世界の損失」 米大統領、大使公邸で記帳
<【7月9日 AFP】ジョー・バイデン(Joe Biden)米大統領は8日、安倍晋三(Shinzo Abe)元首相が銃撃を受け死去したことを受け、首都ワシントンの日本大使公邸を訪れ、弔問者芳名録に記帳した。>
<バイデン氏は米政府庁舎に対し、10日まで半旗を掲揚するよう指示した。>
安倍氏死去「深く悲しんでいる」 英女王、天皇陛下に弔辞
<【7月9日 AFP】安倍晋三(Shinzo Abe)元首相が銃撃され死亡したことを受け、英国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)は8日、天皇陛下に宛てた弔辞で、「深く悲しんでいる」と述べた。>
<女王は「安倍夫妻が2016年に英国を訪問した際に面会した良い思い出がある。彼の日本に対する愛と、英国といっそう緊密な絆を築こうとする思いは明らかだった」と記した。>
中国の習国家主席、安倍氏死去で弔電 「両国関係改善に尽力」
<[北京 9日 ロイター] – 中国の習近平国家主席は9日、前日に死去した安倍晋三元首相に弔意を示し、同氏は両国関係の改善に尽力したと述べた。>
安倍氏の訃報、ロシア政界にも震撼 「露日関係発展に貢献」「日本は真の愛国者を失った」
<8日、日本の安倍晋三元首相の訃報を受け、ロシアの政界からも衝撃の声が挙がっている。ロシアのプーチン大統領や旧ソビエト連邦のゴルバチョフ元大統領らが哀悼の意を表明した。>
<安倍元首相が在任中に計27回の会談を重ねたロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「ロシアと日本の善隣関係の発展において多くのことをした、卓越した国家指導者の命が犯罪者の手によってもぎとられた」とする遺族宛の手紙を公開し、哀悼の意を表した。>
現役の政治家で元首相が暗殺されたことに対する海外からの声が多い。
特に中国やロシアからのものは、岸田首相に対しての皮肉もあるのかもしれない。
安倍元首相の暗殺 どのように起きたのか
<安倍晋三元首相(67)が8日午前11時半ごろ、奈良市の駅前で撃たれた。搬送先の奈良県橿原市の病院は、午後5時過ぎに死亡が確認されたと発表した。
10日に投開票される参院選のため、応援演説をしている最中のことだった。容疑者は背後から近寄り、手製とされる銃のようなものを発砲したとされる。>
<周囲の医療機関から駆け付けた医師や、救急隊が応急処置をした後、救急車が安倍氏を搬送。さらに、ドクターヘリで奈良県立医科大学付属病院へ運ばれた。報道によると、撃たれた直後の安倍氏は会話ができたものの、間もなく意識を失ったという。
病院到着時には、心肺停止状態だった。医師団は輸血を繰り返し、止血手術をして蘇生を試みるが、午後5時3分に死亡を確認した。
担当医によると、首の2カ所に銃弾による傷があった。傷は心臓まで達し、心臓に大きな穴が開いていたという。止血手術をしたが、大量の出血があり、死因は失血死だったという。手術中には体内に銃弾は見つからなかったという。
報道によると、奈良県警は9日午前、安倍氏の司法解剖結果を発表した。左上腕から入った銃弾1発が、左右の鎖骨下にある動脈を傷つけたことが致命傷だったという。>
これは、備忘録。
BBCの記事はWEBでも詳細だな。
日本の厳しい銃規制法、銃撃事件はまれ
<(CNN) 銃犯罪率が世界でも最も低い国の一つである日本で、安倍晋三元首相の銃撃事件は大きな衝撃を与えた。銃犯罪率が低いのは銃所持を厳しく制限する法律があるためだ。>
<シドニー大学公共衛生大学院の集計データによると、2018年時点で、人口1億2500万人の日本で銃器による死亡は9人のみだった。同年に米国では3万9740人が銃で亡くなっている。>
<日本の銃規制法では、販売が許可されているのは猟銃と空気銃のみで、拳銃は違法だ。しかも、入手の手続きは長く複雑なもので、努力と忍耐を必要とする。
銃所持の許可を得るには、1日かかる講習、筆記試験、射撃教習を受ける必要がある。精神面の評価、薬物検査、厳格なバックグラウンドの検査も行われ、犯罪歴、個人負債、組織犯罪への関与、家族や友人との関係なども審査の対象となる。
銃を入手した後も、所有者は銃器を警察に登録し、銃と銃弾の保管場所を届け出る必要がある。銃と銃弾は別々の施錠された区画に保管される。毎年警察による銃器の検査を受け、免許を更新するには3年に一度再講習と試験を受けなければならない。
こうした規制により、日本での民間人の銃所有者は極めて少ない。17年時点で、人口1億2500万人に対して銃は推計37万7000丁(100人当たり0.25丁)しかない。スイス・ジュネーブの国際・開発研究大学院の独立調査プロジェクト「小火器研究」によると、米国では人口100人当たり約120丁の銃がある。>
安倍氏が銃撃で死亡、この衝撃は日本を永遠に変えるか
<安倍晋三元首相(67)が8日午前11時半ごろ、奈良市で街頭演説中に銃で撃たれ、午後5時過ぎに死亡が確認された。第一報が報じられて以来、私のもとには友人・知人から次々とメッセージが流れ込んだ。日本でこんなことが起きるなんて、いったい何事か。誰もが同じ思いで当惑していた。>
<事件直後に現場の路上に放置された凶器の写真を見ると、手製の武器のように見える。金属パイプを2本、黒い粘着テープでグルグル巻きにしてある。何か手製の引き金のようなものも見える。インターネットからダウンロードした設計図をもとに作ったかのような印象だ。>
<この国の人たちは暴力事件のことを考えずに日々を過ごしている。決して誇張してそう言っているわけではない。
確かに、ヤクザはいる。悪名高い日本の暴力団だ。しかし、普通の人はほとんどめったに暴力団に接しない。暴力団の側も、銃の違法所持に対する罰則があまりに厳しいため、銃をあまり使いたがらない。>
<他方、この国では近年、別の種類の犯罪が繰り返されるようになっている。目立たず物静かで孤独な男性が、誰かや何かに恨みを募らせ、暴力に至るタイプの犯罪だ。>
<日本はとても安全な国なので、この国の警備体制は緩やかだ。今回のような選挙戦の最中、政治家は文字通り街角に立ち、演説をし、買い物客や通行人と握手をする。
安倍氏を撃った男はおそらくだからこそ、元首相に近寄ることができた。そして、寄せ集めの部品で作った武器を発射できたのだろう。
これは今日を境に、変わるに違いない。>
まさか、手製の銃が犯行に使われると思ってもいなかった。
銃を自分で作る恐ろしい時代になってしまった。
昔の爆弾の作り方の本があったが(腹腹時計だったけ)、今は裏サイトに銃の設計図や作り方があるのだろうか。
立体コピー機を使えば、プラスチック銃など簡単にできる。
組織でなく個人が怒りに任せて作ってしまう世の中になり、公安がチェックする領域を超えてしまったのではないか。
「アベノミクス」は何を残したのか 安倍氏の経済政策
<8日に暗殺された安倍晋三元首相は、日本経済の転換を目指していた。
安倍氏は2020年晩夏に退任するまで、日本の首相を最も長く務めた。
在任中に最も注目された政策は、おそらく「アベノミクス」だろう。自らの名を冠した経済計画だ。
一連の景気刺激策と大規模な改革は、世界3位の経済大国を確かに活性化させた。しかし、期待されたほどの効果は生まなかった。>
安倍晋三氏、日本の憲政史上最長の首相が残したレガシー
<日本の憲政史上最も長く首相を務めた安倍晋三氏は、そのタカ派的な外交政策と、「アベノミクス」として有名になった代表的な経済戦略で知られていた。高い人気を誇り、また非常に物議を醸した政治家でもあった67歳の安倍氏は、自由民主党を2度にわたり勝利に導いた。
その衝撃的な死は、戦前の日本政治における暴力的な日々を思い起こさせた。政治家の暗殺が、日常的ではないにせよ決して珍しいことではなかった時代を。一連の政治家暗殺は、第2次世界大戦に至った日本の歩みの一部だった。>
安倍元首相は歴史の教科書にどのように書かれるのだろうか。
実績はともかく、最後に暗殺された政治家として残る。
私見だが、安倍さんが52歳で首相になったのは、お父さん安倍晋太郎さんが首相の座を目前にして病死したことにあるのではないか。
お父さんの無念を晴らすため、首相になることを本人も周りも目標にしていたのだろう。
まだ、自民党の国会議員も晋太郎さんを知っている方々もいた。
そんな思いが首相にさせたような気がする(ご本人の努力はもちろんだが)。
憲法改正は自民党の党是である。
保守的な考えをベースに、首相官邸に権力を集中させ、力のある議員や官僚の神輿に乗って政治を行なった。
上記の記事のように在任中に各国のリーダーと会い、親交を深めた。
長期政権の弊害で調子に乗った結果が桜やモリカケ問題。
それで突き上げられるのが嫌で、体調悪化を理由にして2度目の辞任をしたと思っている。
きっと3回目も考えていたのだろう。
安倍さんという最大派閥の領袖がいなくなり、岸田首相への圧力も弱くなる。
これからどのような政治をするか、3年後は衆参同時選挙が有力だ。
次は政権交代選挙になるか?