高校生の頃、柔道部の練習をサボって早く帰っては相撲ばかり観ていた。当時の最強は北の湖である。今のように横綱以外が幕の内で優勝することはほとんどなかった。
1981年(昭和56年)初場所で東関脇の千代の富士が北の湖との優勝決定戦を制し、横綱の連続優勝が史上最長の21場所で途切れた瞬間は今でも鮮明に覚えている。この時の大相撲中継は瞬間最高視聴率歴代1位(65.3%)を記録したのである。
そんなことはどうでもよくて輪島の話である。当時輪島は全盛期をやや過ぎていただろうか。特筆すべきは1976年(昭和51年)初場所から丸2年、12場所中、優勝は輪島5回、北の湖5回、魁傑1回、若三杉1回で、完全な輪湖時代である。1978年(昭和53年)初場所からは北の湖が5場所連続優勝して、差がついてしまったが。
左からの下手投げは強烈であった。今のモンゴル連中を片っ端から投げてほしかった。
昭和51年1月 | 東横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 4場所ぶり5度目 | 輪島との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 |
昭和51年3月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 13勝2敗 | 9場所ぶり8度目 | 旭國(場所後に大関昇進)との優勝決定戦を制す。 |
昭和51年5月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 13勝2敗 | 2場所ぶり6度目 | 輪島との優勝決定戦を制す。 |
昭和51年7月 | 東横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり9度目 | |
昭和51年9月 | 西前4 | 魁傑將晃 | 花籠 | 14勝1敗 | 11場所ぶり2度目 | |
昭和51年11月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 14勝1敗 | 3場所ぶり7度目 | 輪島との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
昭和52年1月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 13勝2敗 | 3場所ぶり10度目 | 北の湖との千秋楽結びの一番2敗同士の相星決戦を制す。 2場所連続の千秋楽横綱相星決戦は1場所15日制となって以降、初めて。 |
昭和52年3月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 2場所ぶり8度目 | |
昭和52年5月 | 西大関 | 若三杉壽人 | 二子山 | 13勝2敗 | 初優勝 | 2代目若三杉(のちの2代目若乃花)。 |
昭和52年7月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 15勝 | 3場所ぶり11度目 | |
昭和52年9月 | 西横綱 | 北の湖敏満 | 三保ヶ関 | 15勝 | 3場所ぶり9度目 | |
昭和52年11月 | 西横綱 | 輪島大士 | 花籠 | 14勝1敗 | 2場所ぶり12度目 | 北の湖との千秋楽結びの一番1敗同士の相星決戦を制す。 |
それにしても、相撲取りは比較的短命である。輪島も北の湖も千代の富士もみんないなくなってしまった。
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