25年前の1月17日は千葉に居ました

震災の記憶刻み、伝える 令和世代へ、各地で追悼―阪神大震災25年


<6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から25年となった。地震が起きた午前5時46分、被災した神戸市を中心に各地で犠牲者への祈りがささげられた。>
阪神・淡路大震災から25年 被災地GDP伸び悩み、震災後生まれ2割超に

<6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から25年となる。被災12市の震災後に生まれた人の割合が2割を超え、兵庫県内で唯一残った神戸・新長田の再開発事業も完了の見通しが立った。>
<震災前、世界6位につけていた神戸港のコンテナ取扱量(約292万個、20フィートコンテナ換算)は、ようやく過去最高だった94年の水準に回復。だが世界ランキングは54位まで落ち、主要港湾との差は大きい。>

25年経った。
人生にとって重大な転機の日となった。
地震とは関係ない仕事の話だ。

当時、宝塚に住んでいた祖父は寝ていたベットが左右に動き回った(車輪付きだった)。
家の南側では家が押しつぶされ犠牲者が出た。
ライフラインが止まり、大阪にある私の実家に避難した。
大学生の弟は大阪から神戸までボランティアの看護婦さんを自動車で運んでいた。

震災から2週間後、実家へ帰った。
大阪北部はまだ地震の傷跡があったが、淀川を渡った大阪市内は何事もなかったように人々が生活を営んでいた。
関東では地震はよく感じたが、大阪ではほとんど感じたことがなかった。
母親は余震が来ると思い出して怖がっていた。

阪神淡路大震災の後、建築物の耐震基準が上がり、ほとんどの建物が補強された。
建物は大丈夫でもインフラ(鉄道、ライフライン)が弱点になる。

今後、日本のどこでどのような大きさの地震が発生するのか分からない。
まず、寝る場所には倒れる物を置かないことが命を守るすべだ。

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