大阪万博(EXPO’70)の思い出と第31期竜王戦七番勝負第4局第1日

カツブロをやっている皆さんなどは感覚的に私と同年代の方が多くて、EXPO’70に関しての記憶も似たようなものがあるかもしれない。最近は昔話をする時間も惜しく、過ぎたことには興味すらなくなっているのだが、ちょっとだけ振り返ってみる。

結論からいうと、私は大阪万博には行けなかった。少なくとも1970年3月15日から9月13日までの183日間に行くことはなく、10年後の1980年3月に万博会場だった跡地のエキスポタワーにのぼっただけである。

「ニャロメの万博びっくり案内」全3巻を擦り切れるほど読んで、全てのパビリオンは諳んじることが出来るくらい楽しみにしていたのに、結局行けなかったのである。理由は父の転勤で1970年3月に当時住んでいた大阪府から千葉県に引っ越してしまったからである。

万博に行けない代わりに映画2本観せてあげると言われ、1969年公開の「空飛ぶゆうれい船」1本だけ観せてもらった。父親は私に内緒で万博に行っていたようである。大人の都合など全く理解する気にはなれない私の心中やいかに。

前年の1969年には何の説明もなしに1ヶ月入院させられていたこともあり、両親への不信がつのるのも致し方ないことであったろう、いやマジほんま。ま、今となってはもうどうでもいいことなのだが。

2025年の万博まであと7年。今の仕事をしているかどうかはわからないが、55年前の鬱憤をはらすべく会期中はおそらく何度も足を運ぶことになるのではないかと思う。それほど面白いものでなければ、当然別のことをして糊口をしのいでいるだろう。

ちなみに、私にとって日本で「万博」と呼べるのは1970年のそれだけである。沖縄や筑波や愛知でやったやつや、花博などはその名に値しないと思う。

会場に行けたわけではないが、東京五輪2回、大阪万博2回、生涯で体験できたとは、日本のいい時代に生きてこられた、と言っていいだろう。その点では両親に感謝する。おそらくその後は今までの日本ではありはしない。大転機がくる。

そんなことより、竜王戦の第4局が始まっている。またしても角換わり。居飛車なら角換わりばかりの時代が来るとは想像できなかった。正直、序盤は見飽きた。同形まで無条件に進めて、変化するところからじっくり指してもらいたい。

後手の羽生が66手目を封じて1日目終了。

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