錦糸町まで不要不急でない用事で外出したので、帰りに半蔵門線を使って神保町まで足をのばした。学生時代から世話になっている古本屋街が今、どうなっているだろう。
大部分がシャッターを下ろしていたが、厳松堂とその隣の隣、東京古書店(両者はともに澤口書店である)、書泉グランデはやっていた。新本屋のランドマークと言ってよい三省堂書店本店も5月7日から開店しているが、今日と明日は臨時休業らしい。
さて、その厳松堂書店で目に付いた本書、一気に読んでしまうほど面白かった。
科学とはこれほどまでに興味深いものであり、そこで成果を上げる12人の高校生たちの研究に打ち込む姿に心が震える。誰しも順風満帆とは到底言えない困難の中で、ここまでやり遂げることが出来るのは天賦の才があるには違いないが、米国の持つ度量の大きさを感じざるを得ない。日本のような画一的な教育に絶望すら感じる。
おっと、最後に追記として、(当時)県立千葉高校2年生だった日本の女子高生の特別寄稿があった。日本だからダメというのではない。彼女も、両親がセンスオブワンダーを大事にして育ててくれた、とある。やりたいことを興味の向くままやらせてあげる、ということがこのような成果につながる、ということではないかと思う。
これは「理系」に限ったことじゃない。「文系」だって同じだろう。そもそも私は「理系」「文系」の画一的な分け方には大いに憤っている。理学部数学科は見かけ上、文学部と一緒だよ。本読んで紙と筆記用具があればいいんだから。私も数学以外は物理化学からっきしで、日本史世界史のほうが性に合っていた。文理分け大反対。