人はその生涯で何度か、あまりに大きな出来事に遭遇したときに、傍目からそう見えるかどうかは別にして、あらゆる感情が静止し呼吸はもとより鼓動すら止まるような思いがすることがある。
今年は二度、メールの文面を読んで数十秒は心身ともに静止してしまった。一度目は4月27日、そして二度目は今日である。
毎日毎日5,000字の活字を浴びせられる快感は、活字中毒には至福のものである。さすがに近年はどなたかが仰っていた灘自慢、嫁自慢、娘自慢、毎度お馴染みのPCトラブルなど斜め読みしてしまうものもあったが、さるさる日記途中からの読者時代は、これほど切れ味鋭い日本語は久しく読んだことがないと心の中で快哉を叫んだほどである。
一体誰だ?と問う前にその存在を教えてくれたのは父親である。調べたら私の両親が新婚当時住んでいたアパートの最寄り駅から南へ徒歩5分、公園の北側にある病院の長男だという。その後、一度両親とその医院の前まで行ったことがある。
個人の日記というには規格外の大きな存在だった「xxな日々」が永久に読めなくなった今、私も含めた読者はみな途方にくれつつ、ひざまづきたい思いであるに違いない。
そうそう、今年私にべらぼうな衝撃を与えた二通のメール、一方は「旅を終えた」もう一方は「旅立った」とあった。どちらも同じことを伝えている。先に私たち夫婦から手に届かないところに行ってしまった者は、実は今でも私たちと一緒にいる。あたかも一緒にいるような会話を毎日今でも交わしている。もともと言葉の通じない家族の一員であったことも幸いしてか、夫婦で会話を代弁していることが今でも続いているのだ。
つまりは手に届かない場所に行ってしまった者も、残された者の中には延々と生きていることに変わりはないのである。元素単位に別の状態に移り変わったとしても何も失われたわけではない。思う人の心の中で生き続けていくのである、きっと。