隠れた秋田市名物「30円焼き鳥屋」消滅。お店は行けるうちに行っておいた方が良い …ような気がする。
かつて、秋田市手形の「手形の湯」という銭湯と「とんかつあべ」の間にあった30円焼きとりの汚い店。小学生〜中学生の頃に超通った。
茨島交差点の近くに引っ越した後、高校の頃に超通ったけど、その後、いつの間にか消えてしまったお店。
最近になって、保戸野鉄砲町というか保戸野みその通り沿いに復活してるのを見かけたあのお店。
なんと、今日見たら、そちらも閉店してしまった様子。
玄関の奥にあった忌引の文字の板は見なかったことにして、、、(おじさんとも限らないし)
話は30年以上前に遡ります。
かつて、秋田大学の近く、上で書いたように「手形の湯」という銭湯と「とんかつあべ」の間、、、手形交番の向かいくらいに「30円やきとり」と呼ばれる店がありました。屋号不明。
その名の通り、ひたすら皮のやきとりを1本30円で売っていたお店です。
近隣の小学生からお年寄りまで親しまれていたと思います。
当時、金砂町に住んでた小学生の自分も踏切を越えて買いに行っていました。
そこが25年前頃でしょうか?茨島交差点近くに移転しました。
ちょうど、高校の仲間たちと飲み…ゲフンゲフン、もとい、健全な宴を催す時に、学校からも比較的近いし、これ幸いと買いに行っておりました。
しかし、いつしか閉店したようで、30円やきとりも、そこのおっちゃんもどこに行ったのか分からなくなったのであります。
再び、このお店を見つけたのは昨年の2月のことでした。
保戸野みその通りに民家の前の小屋のようなところに「やきとり 皮 50円」と書かれたところがあって気にはなっていたのです。
妙に安い値段と皮のやきとりという言葉から、まさか?よもや?と思いましたが、今日行ってみると、店内にはホットプレート。
そうです、確かに手形時代も茨島時代もやきとりなのにホットプレートで揚げ焼きのように焼いていました。
もう確信に変わりました。
声をかけて出てきてのは、誰あろうあの30円やきとりのおっちゃんその人だったのです!だいぶ老けてるけど!
不謹慎を承知で書きます。
まさか生きてたとは!!!
50円と値段は変わりました、こんなにしょっぱかったっけ?もっと脂がしつこかった気もするけど??みたいな記憶との相違はあれども、あの味でした。
まさか、また食べられるとは!感動でありました。
やー、しかし、再開してるのを見つけてから、あるということに安心してしまって2回くらいしか行かなかったのが心残り。
どんなお店であれ、いつでも行ける、いつか行こうって思ってちゃダメなんだ、、、。・゜・(ノД`)・゜・。
ずっとこの情報を探しておりました。ありがとうございます!
つい最近まで存在していたとは、意外も意外です。
同じ想いを持った方がいらっしゃったと知り、めちゃくちゃ嬉しいです!
なくなる前に、もう一度食べたかったなぁ・・・。無念です。
随分と遅くなってしまいましたが、反応ありがとうございます!!
最後にもう一度食べられたのが嬉しかったです。でもまだ食べたかった!!!
俺も焼き鳥の皮を食べる度に思い出します。
また食べたいです。
秋田を出て30年。
焼き鳥といえば必ずと言っていいほど皮を頼んでしまうのは、きっとあの味をどこかで求めてるんだろうな〜。
「手形の30円焼き鳥」•••今宵も大好きな鶏皮焼きをつまみにビールを飲みながら思い出しておりました。思い出すたびに検索を試みては、いつも見つからなかったこの店の情報。何故か今日は見つけられた(*⁰▿⁰*)
私がこの店を知ったのは小学校4年の頃だから、もう40年も前。おじさんはあの頃すでに40歳くらいの風貌だった(白髪まじりで無精髭生やしていたから年齢不詳だったけど)から、元気だったら80歳くらいなんだろうけど•••。
秋田在住の兄貴から「茨島の方に移ってから何回か買ってきたけど、最近は全然」と聞いたのがもう10年以上前。最近(と言っても3年前だけど)まで元気だったと知って、ちょっと嬉しくなりました。
やっぱ、相変わらず、「清潔感」とはほど遠い店の雰囲気だったんですね。小学校の帰り道、寄り道するたびに「おっちゃん、きったねーなー」とか言いながら、店の中に散らかしっぱなしの串を片付けてやったっけ。そのたびに「いつも悪いね〜」って言いながら、当時売り始めたばっかの「モツ(という名のレバー)」を2本くれたっけ。「おっちゃん、おれ、レバー嫌いだって言ってるじゃん!」って言いながら、鼻をつまんで食ってたっけ。
心温まる情報をありがとう!
遅くなりましたが、反応ありがとうございます。
鶏皮、自分もあちこちで食べていますが、あの味にはなかなか巡り会いません。
普通の市販のタレだったんですけどね;;;
確かに清潔感というのはほど遠かったですが、あれこそ、思い出のお店でした。
情報ありがとうございました!
茨島までは知ってましたが、まさか!です。
小学時代のように気軽に行きたかった。残念です。
遅くなってしまいましたが、反応有りがありがとうございます。
自分も茨島で終わり…だと思ってたので本当にビックリしました。
覚えていることを書き連ねてみます。友人の紹介で手形店舗に始めていったのが中二でした。昭和57年頃です。肉屋か何かの店舗を改造したような内装。肉のケースで調理場と客のスペースが仕切られていました。ちょっと薄暗そうな奧にはカーテンのようなものがあり、おじさんの休憩所かなにかあったのかも。どこかの宗教の訓示的なものがはっていましたが、あれは以前営まれていたかたが置いていったものかもしれません。「人を羨むのはよくない」的なことが書いていたような。床は油の層で真っ黒。壁はたしか薄い緑で、たまに焼き鳥の串がささってました。焼き鳥ファンと書かれたノートが机にありました。「何出ると思う?」と手書きの紙が見本代わりにあった店舗前の販売機。壁に掛けられた手拭き用の芯が鉛筆くらいの細さのトイレットペーパー。壁にはたしかマジックで「おいしいど!」と書かれてました。東中卒業生と思われる剃り込み頭のお兄さんがたが「おっちゃんまだ30えんでやってるのか!?」と,はいってきたりして、当時でもすでに相場的に安かったんだなとあらためて思います。その後茨島時代にはちょっとだけ踏過去の話もしてくれるようになりました。長くなるのでこの辺までにしますが、茨島時代にはおにぎりもやっていたり、以前は市場でやっていたことや、保戸野時代は焼き直しの間、ご家族の事なども少しだけきくことができました。消費税に怒っていたのがいまだに強く記憶にあります。また食べたかった、おじさんの焼き鳥。
遅くなってしまいましたが、反応ありがとうございます。
ありましたねー、自販機!!! 懐かしい!!!!
こうやっていろいろ書いた頂くと、思いだしますね。トイレットペーパーもあったあった。
保戸野に移ってからも、もっと行けばよかった〜。
ちょっとだけ踏過去
→ちょっとだけ過去
の誤りでした、すみません。あと、内装の色はうすみどりではなく、薄い水色のペンキだったかもです。すみません。
コメントを返していただいたのに気づかずすみませんでした。今でも手形、茨島、保戸野の各店舗跡を通るたび、たべたくなります。「一本でも配達するよ、何本だろうが同じお客さんだもの」と言っていたのを思い出しました。継いでくださるかもといった方のこともいっとき話してくれていましたが、「あー、その話はなしになっちゃった」と少しがっかりされていました。可能だったら自分が習いたかったです。
俺も時々行ってたけど、コロナとかあって最近と言っても4年ぐらい確認に行けてなかった。
家で味を再現したいのですが、あのタレベースなのは分かりますが、他に何か使っているか聞いた人いませんか?、カレー粉と言ううわさもありますが。
市販のエバラかなんかの焼肉のタレでしたっけ。
箱が積み上がってたような記憶があります。
たぶん、下味をそれで付けた上で、揚げ焼きみたいな感じでやってましたよね。
なにか粉とか振ってたような記憶はないんですけど… なんかあったんでしょうね、もうひと味。
あとで、誰かがコメントしてくれるといいんですが(^-^;)
コメントありがとうございます、初代の場所で良く覗いていたので、何を使っていたか大体想像がつきましたが、今となっては自分で再現して見ようかなと、でも焼きたてのあの味は間違いなく、エバラのタレです、今度試して見ようと思います。
茨島の時のおにぎりセット絶品?でしたね。