今週の「週刊文春」(2021年7月8日号)は、わたしにとって保存版になるだろう。巻頭には、長らく本誌の読書日記の連載を続けていた立花隆の特集(おそらく次号の「文藝春秋」誌も特集するだろう。しかし〆切が近いからどこまで充実したものに、いや文藝春秋らしい気配りのする特集になるのだろう。わたしはそれを興味本位に眺めようとしている)が載っているから。
というわけではなく、むしろ小林信彦の20年以上にわたった連載コラムが今回で最終回になるからだ。椎名誠の「新宿赤マント」も野坂昭如の「もういくつねると」のときも寂しかったけど、小林信彦のコラム最終回はそれ以上に正直こたえる。
連載回数は1117回(してみると、山口瞳のコラム「男性自身」の連載1614回というのは途方もない記録なのだなあ)。1998年元日号から連載開始というから、ざっと23年近く。
その間、わたしはせっせとこのコラム「本音を申せば」を読んできたのだ。最終回のタイトルは「数少い読者へ」だ。ここまで続いたのだ、数少ないということはないでしょう。さすがにさいきんのコラムは、まるでレコード針が飛ぶような感じがしていたけれど。文庫本になっている『人生は五十一から』を読むと、細部の引き締まった文章が、冷静でペーソス漂うコラムの土台になっていることを感じる。
最終回のコラムの最後あたりに、NHKのBSプレミアムでヒッチコックの「北北西に進路を取れ」を再度観たとある。
「今回見た方がずっと感動的であった」というその映画を、先日わたしもたまたま観ることができた。映画好きの小林信彦とそうでもないわたしとの間に、わずかばかりの接点が最終回にあったというのは、少しばかり鼻の奥がツーンとする。
坪内祐三が亡くなり、立花隆が亡くなり、そして小林信彦の連載コラムが無くなってしまう。来週から、わたしは「週刊文春」で何を読んだらいいんだろう。