今朝も、午前4時頃は満天の星空だった。先週は冬の大六角形まで見えたものだけれども、きょうもまたそうであった。実に雄大な星景色である。そこに、もうひとつの明るい星が加わっている。
月だ。月齢22くらいの、下弦の半月。それが、冬の大六角形の真ん中に位置していた。星座で言えば、オリオン座の振り上げられた腕の中である。南東の殆ど天頂と言ってもいい仰角だ。
これは、星空に描かれた大きな魔法陣の中心に月を据えた、実に神秘的な光景だった。そのコアを、オリオンが腕に抱いているのだ。明日になれば月の位置がもう変わってしまう。今朝だけの見事な限定公開ショーであった…。
朝の仕事場に行ってみると、きのう倒れていたあの樹が、きょうは見当たらないことに気付く。台風の暴風で根元からなぎ倒されていたのだ。このとき、周囲はまだ薄暗かったので、どういうことになっているのか、よく分からなかった。
帰る頃、それが確認できた。少し鬱蒼としていた枝葉が刈られ、樹は根元を埋め戻して、すっかりと修復されていたのだ。スコップ2本を使ってつっかえ棒も当ててある。手際の良さが見えた。造園屋さんに頼んだのだろうか。
いずれにせよ、珍しい品種の樹木が、そのまま捨てられることなく、再び地に根を張ることを許されたのである。この素早い対処に、少し嬉しくなった。
台風で倒れた樹と言えば、うちの近所にもあった。桜並木の中の一本である。こちらの樹は、早朝の仕事場で修復された樹よりは遥かに大きい。高さは4mくらいあろうかと思う。幹は、腕を伸ばして漸く抱え切れる程の、謂わば大木である。
きのう、塾の仕事に行く前に、この倒れた桜を見に行った。周囲には、歩行者の注意を促すように、カラーコーンが幾つか置いてあった。樹が車道の中にまで掛かっていなかったのは、幸いだったのかも知れない。
近付いて観察すると、その斃れた姿が如何にも痛々しい。これほど大きな樹木となると、おいそれとは埋め戻すのが困難だろう。そんな気がしたのである。
根元には、ポッカリと穴が空いていた。桜の根っこも見える。僕は、これを観察しながら、先達て高尾山など3つの山で見た針葉樹林の太く張り巡らされた根を想起していた。
あのとき目にした、縦横に張られ、ときには土から顔を出し、登山道の階段のようにして人の足に踏まれていた根っこ。また、余りにも太いために、鋸で切られた形跡もあった根まで存在していた。それが深い森林で見た、樹木の姿である。
しかし、いま目の前にしている桜の樹の根は、まるで庭の草木を手で引っこ抜いたときに見られるような、細くて華奢なそれであった。大木には似つかわしくないような、如何にも遠慮したような根の張り方だと感じる。
上の写真を見て、お分り頂けるだろうか?これが桜の樹の根なのだ。余りにも細いために、倒木の際に多くはブチブチと切れて土中に残ったのかも知れない。露出した根元の周りには、殆ど残っていないようにも見える。
しかし、幾分残された根を見ても、それが山で見たあの針葉樹の根とは明らかに異なることが分かる。桜は、こんなにも繊細な根を張って、寒い冬を越し、毎年春になるとあの短くも美しい花を咲かせるのだ…。
何と、可憐な樹木なのだろう、と思う。堂々と大地に大きな根を張って生きているのではなく、細々と遠慮がちに暮らしながらも、人々の目を楽しませている。そして、時期が来れば、花はさっと散って消える。
実は、こうして目の当たりにせずとも、我々は心の何処か深奥で気付いていたのかも知れない。桜のそんな控えめな姿もまた、日本人の琴線に触れて止まないのだ、とも感じる。
日付が変わって、きょう。僕は、斃れた桜の場所を再び見た。そこにはもう、何もなかったのである。赤いカラーコーンも、桜の樹も、もう全てが撤去されていた。
この通りは多分、市の管轄だと思うのだけれども、埋め戻して修復することは考えなかったのだろう。やはり、あの大きさの樹で、あの根っこである。一旦倒木したらもう、根付かせるのは無理なのかも知れない…。
あの斃れた桜は、この地で何回、花を咲かせることが出来たのだろう?20回以上であることは僕が知っている。では、30回?それとも、40回だっただろうか?
今年の春も、この桜並木の他の樹と共に花を咲かせ、近所や道行く人々を大いに楽しませてくれた。また来年も、と誰もがそう思い、きっとこの桜の樹も、そのつもりだったのかも知れない。
それが先日の台風で、この一本だけなぎ倒されてしまったのである。周囲の他の樹は全くの無傷であった。何故、自分だけ斃れなければならないのだろうと、そのとき思ったのかも知れない。でも、往々にして、全てはそのようなものなのだ…。
天の采配によって、いつなんどき、どれが又は誰が選ばれるのかは、我々には分からない。そのときが訪れて初めて分かるものなのであろう。如何にも、無情である…。
桜の樹が撤去された場所は、今もそのまま空白となっている。この後、何か代わりのものが植えられるのかどうか、僕には分からない。でも暫くは、桜並木の中で、この一本分だけ、何もないままなのだろう。
(近所の別の木。こちらは、細い幹が途中で折れていた。やはり、台風による大風のためである)
……