実家を訪れた際に見つけた、いくつかの物たち。それは埋もれた記憶を掘り起こし、過去への旅に誘(いざな)ったのだ…

トップの写真は、一昨日の9時頃に撮った月。夜空がやや薄曇りのせいか、幾分フォーカスの甘い写真になったように思う。その翌日(きのう)は上弦の半月だったのである。

朝はもう、4時半ともなると東天に茜や群青のグラデーションが色付いて見える。夜もだいぶ短くなったものだなあと感じられるのだ。
そこに明けの明星が黄色く、ひとり輝いている。冷気は一掃されて僅かばかりの寒さがほんのりとだけ残された薄明かりの中、僕は自転車を駆るのである。


先日、娘の入学式があった。新宿にある服飾系の学校である。昨年、高校を卒業し一旦は就職したのだけれども、デザイナーになる勉強をしたいということで進路を変更したのだった。
元々なんとか坂などのグループが大好きで、いずれはそういったアイドルたちのコスチュームを制作するような仕事に就きたいのだそうだ。

それで、現在は千葉と都内にある服飾や布生地関係のお店でアルバイトをしながら修行に励んでいるという具合なのである。今後は、そのような仕事と学校を掛け持ちしながら勉強して行くことになるのだろう。まあ、好きな道であれば是非頑張ってみれば良いと思う。
こういうところは誰に似たのか、やはりクリエイター志向になるというところが血は争えないものだなあ、などと20代の頃に音楽(作曲)の仕事に就いていた僕なんかは愚考するのである。一応、僕は創作の道では専ら独独歩ではあったのだけれども。

うちの前の並木道に咲くソメイヨシノは既に散り始めている。実家の方ではこれから開花なのだそうだ。息子は電車に乗って、あちらへ帰って行った。4月に入って、こうしてそれぞれが己の道へとまた歩み始める。

春とは畢竟、こういった季節なのだ。四季のメリハリのあるこの国では季節の移ろいが人の心を動かし行動させ、精神を涵養していくものだ。
暑い夏はすぐにやって来るのだろうが、それだけは勘弁願いたいものだw しかし、他の季節が過ぎ去らねば再び春はやって来ない。このような流転の再生もまた人生の定めであろうか…。


もう先月のことになるけれども、実家に行った際、僕が子供の頃に使っていた勉強机の引き出しの奥から、写真を何枚も見つけたということがあった。クラスの集合写真や遠足などのスナップだ。
例えば、中学生のときに撮ったものがあった。口を真一文字に結んで、自分で言うのも変だけれども、実に可愛らしい写真だったw この当時は一重瞼(か奥二重?)だったんだな…とも。

かたや下の一枚は高校生当時の写真だ。制服のない高校だった筈なのに学ランを着て写っているということは、入学式の直後に撮ったのだろうと思う。これも自分で言うのは可笑しいけど、結構賢そうだなw

それから、テストの成績表も見つけた。中学2年のときのものである。
僕は何故か、この当時の自分がどの程度の点数を取っていたのかということを殆ど全く記憶していない。多分、一旦過ぎ去った物事(特に数値的なもの)には関心を持たないということがあるのかも知れない。

左から順に、国社数理英のテストの点数と合計点。意外と(?)たくさん取っていたんだなあ、と妙に感心してしまった。自分のことなのにw
ちなみに、貼付されていた順位統計表を見ると、学年で約300人中の9〜10番ほどだったようだ。うーん、これも全然覚えてなかったなあw まあ、記憶とはきっとそんなもんなのである。

ちなみに、僕のクラスの中ではUさんという天才少女が常に1位をキープしていたので、他の生徒はいつも2位以下に甘んじることとなったものだ。僕はそんなUさんに憧れと尊敬の気持ちのこもった特別な好意を抱いていたものだった。
きっと、上の表で450〜499点の「女 1人」となっているのはUさんに違いない。恐らくは同じ欄の「男 7人」をごぼう抜きして堂々の学年トップだったことだろうと思うのである。

実は、Uさんに関して、ひとつの思い出がある。それを数年前に400字のショートショートとして書いたことがあった。タイトルは「たとえひとりぼっちでも」という。

それから更に、僕は宝探しの感覚で実家の押し入れを探っていった。すると、何冊かの本を見つけたのである。その中に、Uさんが僕にプレゼントしてくれた赤川次郎の文庫本があったのだ。
『名探偵はひとりぼっち』というこの一冊は、僕が怪我をして入院した折、彼女が確かいちばん最初にお見舞いへ駆けつけて来たときに手渡してくれた本だ。このときの出来事を400字にまとめたお話が、上にリンクを貼ったショートショートなのだ。

さて、僕がそのようにして一ヶ月ほど学校を休んでいる間に、Uさんは東北地方へと転校して行ってしまった。多分、あのとき病室で会ったのが最後だったのだろうと思う。
数多ある赤川次郎の本の中で、Uさんは何故あえてこのタイトルの本を選んだのか僕は思案することとなった。抜群に頭の良かった人なので、理由もなく選んで手にしたとは考えにくいと思ったからだ。そこで生まれたのが上の短かな物語というわけなのである。

探し出した本の中には『時をかける少女』の原作もあった。背表紙には、まだあどけない原田知世が写っている。そういえばUさんは、この写真に似ていたなあと、当時よく感じていたことも思い出した。

こんな風に過去の思い出に耽る旅というのもまた、僕にとっては深い興趣を感じることなのだ…。

……
僕が中学や高校当時によく聴いていた音楽のひとつにYMOがあります。その作詞家として当時から、「ピーター・バラカン」という名前を見かけていたのですが、そのときはどんな人なのか知る由も術もありませんでした。その後、大学生になって、ラジオやTVで音楽番組などを見聞きするようになってから、日本語が非常に堪能な英国人であることを知ったのです。僕はピーター・バラカンさんのラジオ番組を今でもNHK-FMで聴いています。
そんなバラカンさんが書いた、英語に関する本をいま読んでいるところです。これを見ると、日本人は英語の発音面でだいぶ損をしているのではないかということを危惧しておられることがよく分かります。例えば、「moneyの発音はマネーではなくてマニ[mani]。語尾は決して伸ばしてはいけません」「quiltをキルトと発音するとまったく通じません。必ずクウィルト[kwilt]と言ってください。そうでなければスコットランド人の男性がはくスカートのkiltになってしまいますから」などなど、ピーターさん独自の発音表記を時折用いて、我々日本人に向けて丁寧に解説してくれます。
英語の勉強は、語彙、文法、読解、リスニング、スピーキング(瞬間英作文)といったように内容がとても多岐に渡りますが、発音そのものも非常に重要なカテゴリのひとつであることを実感させられます。そのような意味においても、英語学習者の皆さんは是非とも本書を一度手に取ってみては如何でしょうか…。

ピーター・バラカン 著『-面倒な発音記号がなくても大丈夫- ピーター・バラカン式 英語発音ルール』
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