またまた『1984年の歌謡曲』…本が届いたのだ(後編)

薬師丸ひろ子の「Woman “Wの悲劇”」のサビの部分で使われている、コードの非構成音の「正体」とは一体、何か?というのが、前回までのお話。

僕は、これに関して、先達て紹介した渡邊健一著『音楽の正体』という本で読んだことがあるのだ。
コード構成音以外の音階を使う幾つかの技法のひとつとして、「倚音(いおん)」というものが紹介されているのである。例えば、ド・ミ・ソのコードに対して、レで始まるメロディだ。(下の写真をご参照)

このページの下の方に書いてある説明が、大変に面白いw 「イキナリ現れて、ガーンとかます、これが非和声音の女王、倚音の正体なのだ」と書いてある。
まさに、「Woman “Wの悲劇”」でも、サビで「ド」の音がイキナリ現れて、ガーンとかましているのだ。しかも、その名も「女王」サマなのであるw ここでつい、ユーミンの(勝ち誇った)お姿を想起してしまったのは、僕だけではあるまい…。(…ファンの方、スイマセン)

この倚音は、特に演歌では、コブシや、あの振り幅のやたらとデカいビブラート等でよく使われるようだ。でも、それらはあくまでも、作曲技法のひとつであると同時に、歌唱テクニックの一種でもある。
また、この『音楽の正体』では、他に、ビートルズの「イエスタデイ」の出だしのメロディも例として挙げている。「Yesterday …」と歌う「Yes…」の部分が、コードがG(ソ・シ・レ)だと、メロディの音階は「ラ」(つまり、9度の音階で、倚音)なのである。ただし、8分音符ひとつ分だけなので、やや短い倚音だ。(コードと音階は、手持ちのシンコー・ミュージック刊『ビートルズ・ベスト曲集』で確認しました)…とまあ、倚音にはこういった例があるにはある。

しかし、「Woman “Wの悲劇”」のサビでは、この倚音を、これでもか(!)とばかりに、連打して使っているのが最大のミソであろう。この辺りが、流石のユーミン様…という訳なのである。『1984年の歌謡曲』で、「独創的にして前衛的」と評されるゆえんだ。


なお、『1984年の歌謡曲』のこの項では、ユーミンの実に興味深い発言が取り上げられている。(本書P.186より)

… コードの響きって色なのね。色彩なのよ。(中略)音を加えれば、色が少し変わるんだと思う。…

うーん、これを読んだ限りでは、ユーミンは、きっと共感覚者ですね…。共感覚とは、聴覚から視覚や色彩を感じる、ということである。かつて手塚治虫氏も、ラジオのインビューで「チャイコフスキーは、橙もしくはブルー。ブラームスは、ブラウン。ベートーベンは、真っ赤、という風に、音楽にイメージをつけている」という発言をしていたのを僕は聞いたことがある。
実は、僕も、何かの音や音楽を聴くと、それらに応じて様々な色や模様(のようなもの)が頭の中に浮かんでしまう方だ。やはり、共感覚者なのだろうか?しかし、人は誰でも、多かれ少なかれ、そういった資質を持っているものなのかも知れない、とも思う。まあ、共感覚については、また日を改めて書いてみたい。


さて、3回にわたって、『1984年の歌謡曲』の中で述べられている、「Woman “Wの悲劇”」のサビのメロディの凄さと「正体」について、僕なりに紹介してみた。
前編でも書いたように、本書では、これ一曲で15ページ割いているのである。あとは是非、ご自身で本書を手にとって、この曲および他の色々な楽曲に関するスージー鈴木氏の深い考察と解説に触れてみて下さい。音楽的な眼が見開かれること、請け合いです。

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以前も書いたけれども、次はやはり、『1989年の歌謡曲』になるのでしょうか…?次作にも、期待をしております…。

スージー鈴木著『1984年の歌謡曲』
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