高尾山に登った…の2回目。(前回は、こちら)実は、前回も少し書いたけれども、高尾山の頂上まで登ったあと、すぐに下山せずに、隣の山を更にふたつ登ってから帰ったのである。
だから、滅法、疲れた。次の日が土日(しかも、土曜日の方は、「山の日」だったw)なので、ゆっくりと休むことが出来て良かったと思う。でも、この先、少なくとも2週間半は、たった1日だけの休日で働き通さなくてはならないのだ…。
さて、僕は今回の高尾山の山登りでは、6号路を選んだ。沢が流れているすぐ横を登るルートである。ガイドブックを見ると、スニーカーではなく、トレッキングシューズ推奨となっている、そんな登山道なのだ。
何処までも奥深い森林には、無数の蝉の声がまるで、木霊しているかのように聞こえる。僕の家の近所でも、今の季節は、桜の樹に蝉が鳴く。高尾山の樹木は、殆どが杉などの針葉樹のようである。
嗚呼、針葉樹林にも蝉が多いものだなあ…と改めて感じた。これも、祖父母の住んでいた木曽とそっくりだ。ミンミン、ニイニイと鳴き声が幾重にも重なる。そこに、やや急流の沢の水音が足元から聞こえ、音響が混濁してくる。
僕の意識は、この混ざり合った様相を表した森林の、奥深く彼方へと吸い込まれそうになり、早くから眩暈を感じ始めていた。何も、やや速いペースで登っていることの疲労感だけではないだろう。しかし、背中は、既にじっとりと汗を掻いていたのである。
30分くらい歩くと、途中に滝があった。ここは霊山なので、きっと修行用として使われているのだろう。信仰の山という点も、木曽と似ている。その木曽の裏山には、木彫りの大きな像が登山道の入り口に置いてあった。これは山の神様だ、と祖父は言っていた。
もう、この時点で、僕の背中は汗でびっしょり。リュックにも浸み始めていたので、片方の肩だけで掛けて歩くことにした。それから、汗を拭うために、タオルを首に掛けたのである。
滝の周辺は、他に増して涼しかった。下には、やはり沢が流れていた。飛沫が涼感を与えてくれる。僕は、ここで暫く休んでから、また出発した…。
ここからもう少し先に行くと、右手に祠が見える場所がある。沢の上に掛けた橋を渡って、その祠の前に来ると、中にお地蔵さんが安置されていた。
そして、登山道の3〜4mほど下を流れていた沢が、ここからはぐっと近くなって来る。1〜2mほど崖を下りると、もう沢に手が届く。そんな距離感になって来るのだ。
僕も、周囲の登山者と同様、崖を下りて、沢の水に手を入れてみたり、その水で額や首を冷やしたりしてみた。実に冷たい。まるで、生き返ったような気分であるw
上の写真は、沢まで下りて撮ったもの。何処までも深い緑の森林に、上から強い陽射しが白く射し込んでいる。沢の水には、空が写り込んでいるかのように青く、また時折、樹木の葉の緑も反射しているようでもある…。
沢では、動画も撮って来た。僕は元来、水の流れる音が好きなのである。それについては、このブログでも、何回か書いてきた気がする。シャワシャワと音を立てて流れる様子に、いてもたってもいられず録画したというわけw (長さは約20秒です。音が出ます)
登山者が山の冷たい水に触れることが出来るのは、何も沢の水だけではない。左右の山肌から、岩清水が漏れ出ていることがあるのだ。それが斜面を下り、小さな小さな滝のようになって流れている。
僕は登山道を歩きながら、そのような清水に手を濡らし、また額や首を冷やす。何とも心地良い。僕の後から付いて来たグループの中の、ひとりのお婆さんが、僕の真似をして水に手をつけて首を冷やしながら歩いているのが面白かった…。
登山道は、ほぼ全てが木陰なのだけれども、荷物を背負って登って行く運動量は、体を否応なく発熱させる。途中に設けられているベンチで一休みをして、飲み物で喉を潤しながら、歩みを続けた。
登山道は、上の写真のように、木の根が剥き出しになったところもある。謂わば、これは自然が作った階段のようなものである。今回のような雨上がりには、スリップに気をつけながら足をかける必要があった。
上の写真は、切り倒された木の下に流れる沢である。このように、沢の水は、上に行くに従って、我々の足元を縫うように流れる。いや、我々が沢の上を歩いているということなのだろう…。
このあと、6号路の難所のひとつと思われる、沢のとび石を登って行くという箇所がある。それは、正に登山道が、急斜面の沢そのものなのだ。それから、この急斜面の先には、まだ何かあるのだろうか?それについては、次回につづく、ということで…。
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高尾山のガイドブックをもうひとつ、ご紹介。前回のるるぶよりは、小さい判型の書籍。文字も写真も多く、見応え読み応えがあります。登山道についての解説も詳しい。グルメスポットや、高尾山に咲く花の情報も。色々と満載の一冊です。
『まるっと 高尾山 こだわり完全ガイド』
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