初音ミクのフィギュアと、田川建三博士訳註のヨハネ黙示録と…

トップの写真は、初音ミクのフィギュアである。(初音ミクは、もう誰でも知ってますよね…)

先達て、息子が、中学のときの友達と、はるばる秋葉原まで出掛けて行った、という日があった。そのゲームセンターのUFOキャッチャーで獲ってきたのだ。1500円かかったそうな…。まあ、モトは取れただろうか、という気がする。

帰ってきた後、じゃあ早速、箱を開けてみよう、と僕が言ったら、このまま開けないで置いておく、と息子は言うのである。不思議なものだ。中に入っている人形を取り出さずに、箱のまま飾っておくなんてw

どうやら、開封したら価値が下がる、と考えているようである。あとで売るつもりなのだろうか?とも思ったけれども、そうでもないようだ。益々、分からないw
もし中身が、ジャイアンの人形だったら、どーするの?確認しなくて良いの?と言ってみたけれども、そのままであるw

写真は、息子が撮った。別の友達に、ツイッターなどで見せるためらしい。背景が賑やかなことも含めて、良く撮れていると思う。ここに載せるに当たって、僕が若干レタッチ。少々の斜めなどを補正した。

まあ、目下のところ、息子の関心事は、そのようなものなのである。

学校では、物理化学や数学の勉強を、本人いわく「理数系の勉強は、幾らでもやれる」というくらいに頑張り(…英語も頑張っておくれよ、という気もするがw…)、家では、ポケモンやら東方やら、所謂オタクっぽいものに熱中する。この両輪で出来ているのだ。まあ、硬軟いいバランスかも知れない。

さて、一方で僕の関心事は、挙げたらキリがないw 手当たり次第である。

ここ数年で気付いたことだけれども、僕は小中学生の頃に興味を持ったことは、大人になってからもそのままで(…例えば、天文とか、ラジオとか、シンセサイザーとか)、その上に、新たに別の関心事がドンドン積み重なっていく(…パソコンとか、語学とか、ねことか、車とか、様々な音楽とか色々)、という具合になっているようだ。つまり、数年毎に増えていっているのだ。

これは、誰でもそうなのだろうか?それとも、年齢を重ねれば重ねる程に、興味関心の対象が減っていくものなのだろうか?

ちなみに、例えば僕の父は、僕が子供の頃から今に至るまで、数十年間ずっと関心を持ち続けているのは、囲碁とミリタリー関係(…だけ)である。
NHKの囲碁の番組は、毎週欠かさず観ている。かれこれ何十年間も。最近は、碁会にも行っている。あと、これもNHKなどで戦争に関する特番があると、必ず観る。最近は、そういった内容のDVDを買ってきて観てもいるようだ。読書も、世界大戦中の戦記物が多い。

これが一貫していて、あとは何も増えていない。逆に、父が興味を失ったのだろうな、というものは幾つかある。
将棋は、全く指さなくなったし、NHKでも観なくなった。庭いじり(植木の手入れ)も、年を取ってからは全くやらなくなった。車いじりもしなくなった。つまり、関心事は減る一方なのだ。僕と反対だと思う。

まあ、どちらが良いとか悪いとかいう話ではない。人によって様々なのだろう。でも、僕は、自分自身が今後どんなことに対して新たに関心を持つようになるのだろう?ということにも、実は興味があったりするのである…。


嗚呼、また本題に入れなくなってしまうw
新約聖書学者の田川建三博士が、先週の8月8日に続いて、今日ホームページを更新した。内容は、今月末に発売予定の、『新約聖書 訳と註』の最終巻、『ヨハネ黙示録』に関することである。
新約聖書は、特にここ10年以上の、僕の最大の関心事のひとつと言っても良い(但し、キリスト教そのものに対しては、幼少の頃から)。この勉強のために、わざわざ会社を辞めて、学校に通い始めたくらいなのだ。


(出典:「田川建三からのお知らせ 第7巻 ヨハネ黙示録」)

写真は、その『ヨハネ黙示録』に関するページのスクリーンショット。トップページのひとつ奧にある。相変わらず、文字だけのストイックでスパルタンな作りである…。

このページでは、こういった点が最終巻の読みどころですよ、ということを、田川博士ご自身が発売日までに公開していってくださるのだ。例によって文章量は沢山あるけれども、まだまだ書きかけのようである。続きが楽しみだ。

『ヨハネ黙示録』と言えば、世間一般では、ノストラダムスの大予言並みに、オカルト的な文書として認知されていると思う。何故ならば、はっきり言うと、そこには訳のわからないことばかりが書いてあるからだ。

では、どうしてそうなってしまったのか?という理由の一端が、上のページの中に書いてある。興味がある方は、是非とも覗いてみてください。面白いですよ。こうして、最終巻の発売も、益々楽しみになってくるのです…。

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