渋谷の美術館で、坂本龍一の新アルバム『async』の展覧会が開催される、というNHKのニュースが報じられた。『async』は、坂本龍一にとって8年ぶりのオリジナル・アルバムなのである。
事前のプロモーションでは、楽曲の公開(プロモ盤の配布も含む)は一切なし、3月29日の発売当日まで中身は誰も聴くことができない、ということだった。
そして、発売と同時に、Amazonなどでは、各収録曲を30秒ずつ試聴できるようになり、また、3月31日には試聴特別番組ということで、坂本龍一自身の出演でFMラジオの生放送があった。
その30秒ずつの試聴などをざっと聴いた限りでは、もう30数年間、坂本龍一のファンをやっている僕にとっても、どうもいまひとつピンとこない楽曲群というか、ここ数年は段々とよく解んない人になってきちゃった坂本龍一だけれども、ますます解んなくなってきたなあ…という感想しかなかった。メロディもハーモニーもはっきりしない抽象的な音楽に聴こえて、捉えようがなかったのだ。
しかし、このアルバム先日、風呂に浸かりながらじっくりと、冒頭から通して聴いてみたところ、何とも腑に落ちてきたというか、突如として解った!のである。
そうなのだ。このアルバムを、30秒ずつの試聴のようなブツ切れにではなく、一曲目からしっかりと流れに沿い、間断なく聴いて初めて、坂本龍一が『async』で意図せんとしたところが解るようになる、というわけなのだ。
これは明らかに、死を意識したサウンドである。忌憚なく言えば、遺書と捉えることも出来るのかも知れない。
でも、死を意識したサウンドと言っても、それは天上の音楽という意味ではない。例えるならば、ダンテの『神曲』のような、謂わば一種の、冥界巡りのような音楽だ。そして、ゆくゆくはベアトリーチェに邂逅し、眩い光に包まれるが如く、天の高みに達するのやも知れない。そんなイメージを、僕は持った。
坂本龍一は、数年前に癌を患い、治療のために一時休養をしていた。
仄聞したところによると、休養前に溜めたアイデアは、一旦全部捨ててから、改めてこのアルバムの制作に取り掛かり、完成に至ったそうだ。癌は言うまでもなく、死の病である。やはり、その闘病時に得た死生観が、『async』の制作に大きく影響したのだろうか、と思う。
この”async”という語は、「非同期(同期しない)」という意味なのだそうだ。
このアルバムの中には、メロディもハーモニーも、そして拍子すらも判然としないままに流れてくる音響がある。音楽の、縦軸も横軸も、敢えて(…しかし、数値的な計算はした上で…)揃えていない、という曲もあるくらいだ。
そして、ここには、以前の坂本龍一の音楽のような、優美な旋律やテクノロジーを駆使したサウンドを楽しむためというよりも、ただ只管に浸って感じ取るための音のインスタレーションが、ただ茫洋と眼前に広がっている。我々は、このアルバムの音が自在に作り出している世界観に、文字通り耽溺していれば良いのである。
さて、リンク先のニュースで紹介されている、この展覧会の大きなポイントは、『async』を何と、5.1chで聴けるということだ。実は、僕はもう、自宅のヤマハ製サラウンドシステムを通して聴いてみた。
しかし、それはステレオの音声をドルビー・プロロジックで変換しただけのものなので、本当の5.1chというわけではない。それでも、中々の迫力と聴き応えだった。正式に5.1chにミックスされた、このアルバムのサウンドが、展覧会場でどのように聴こえるのか、とても楽しみである。
ニュースの中で坂本龍一が語っている通り、このアルバムの音は、我々が「浸かったり溺れたりする音」だ。僕は、上で「耽溺する」という表現を用いたが、まあ意味するところは同じである。
僕も、是非この会場を訪れて、坂本龍一が魂を込めた音の群れに浸かって溺れてみたい。そう思っている。
追記:5月に、「async 設置音楽展」へ行ってきました。それについての投稿は、こちら。
坂本龍一『async』
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