トップの写真は、きのうの空模様。ほぼ水平の薄雲に、天高く昇ろうとする積雲。暑い日和は続く。夏期講習の半分が、やっと終わりそうだ…。それでも、まだ半分である。今年は特に、長く感じるなあw
あと、自衛隊のヘリが飛んでいたところを撮った。(ちょっとピンぼけ手振れ気味なのはご容赦…)それらは、一機だったり、二機編隊だったり。眩しいほどの青空や雲に、グリーンやカーキ色の迷彩柄がよく映えている。
下は、近所の竹藪の遥か向こうを飛んでいるところ。自衛隊のヘリコプターは、独特の重低音を出すので、こんなに遠くを飛行中でも、すぐにそれであることが分かる。
…
さて、前回の投稿では、かなり久し振りに、歌詞の対訳を載せた。どのくらい振りなのか、と思って見てみると、なんと半年振りなのである。
以前は、月に1本か2本のペースで載せていたのだけれども、最近は何故載せなくなっていたのかと言えば、それは単に、僕にとって、もう載せるべきものが無いように思われたからである。
このシリーズは元々、CDのブックレットなどに日本語訳が掲載されていない歌詞について、それでは自分で訳してしまおうか…と考えて始めたのがきっかけだった。
僕は、大学で英文科に在籍し、そこでは好んで英詩を読んだり、和訳してみたり、自分で書いてみたり、ということをしていた。担当の教授に、現役の英詩人がいらっしゃったことも大いに影響していたのである。
その教授は、日本人なのだけれども、自作の英詩が米国の国語(つまり英語)の教科書に掲載されるなど、英詩人として既に一定の地位を得ている人でもあった。現地のラジオで特集されたこともある。
僕は、その教授の授業を幾つも履修しては、時に仔犬のようにくっ付いて歩き、自分で書いた英詩を見て貰ったりもした。詩人というものに、大いに憧れていたのだ。すっかり詩人気取りだったのかも知れない、とも思う。
今はもう、英詩を書くというようなことはしていないけれども、こうして歌詞を和訳するという試みを、その代わりとして行っているつもりなのかも知れない。
詩であれ歌詞であれ、それらを日本語に翻訳するのは、案外と骨が折れるものだ。例えば、韻を踏むために、語順などが変更されているケースが多いからである。
英語は(…中国語などもそうだと思うけれども)、語順が命みたいな言語である。日本語のように、親切に助詞などが付いてきてくれるわけでもなく、ギリシア語などのように事細かな語形の変化があるわけでもないからだ。
よって、歌詞の途中に、ひとつの名詞句がポンと置かれていた場合、それが主格(ーは」または「ーが」の形)なのか、目的格(「ーを」の形)なのか、はたまた単なる呼び掛け(「ーよ」のような形)なのか、即座に判断するのは難しい。
それは、前回の『ICO -You were there-』の場合でも同様で、僕はそれらひとつひとつに対して、これは主格、これは呼び掛け、という具合に熟考の末に判断して、そのように和訳した。
これに限らず、例えば英語と日本語との差異は非常に大きいものなので、文法的にも語義的にもよく吟味しながら和訳の作業を進める必要がある。
実は、この『ICO -You were there-』には、CDのブックレットに日本語訳が掲載されている。僕は、そのCDを所有していないのだけれども、ネット上の複数のサイトで、その訳を読んだことがあるのだ。
流石、プロと思しき方の手による日本語訳で(但し、僕は訳者が誰なのか知らない)、とても良く出来ているのだけれども、何箇所か英文法に則っていない訳出が見られたのが気になった。
他には、一般の音楽ファンで、自己流に和訳してネットに載せておられる方々もいらっしゃる。これは正しく玉石混交で、箸にも棒にもかからない…という日本語訳も実に多い。この曲に限らず、多くの楽曲の歌詞で、そんな状態なのである。
また、そのような和訳をしておられる方たちに限って、表題やコメントに「敢えて意訳してみました」とか「イメージを日本語にしてみました」とかいった可笑しなエクスキューズを付けておられるのだから、いやはや…なのである(苦笑。
箸にも棒にもかからない、とはどのような意味なのかと言えば、そのような方々はそもそも英語というもの(特に語法)を理解しておられないようだということなのである。加えて、語彙に関する下調べが余りにも足りていないようにも感じられる。
そういった、凡ゆる準備不足のまま、適当に歌詞を読み込んで、いい加減な訳出をしている…そういった日本語訳が実に多く見受けられるのである。勿論、それとは全く別に、上手な訳をしておられる方もいらっしゃるのだけれども。
外国語を余り解さない人たちは、そのようないい加減な日本語訳を読んでも、それが正しく和訳されているのかどうかということを判断することが出来ないだろう、と思う。
むしろ、その日本語訳をそのまま鵜呑みに信じてしまうかも知れない。僕は、そのことが非常に問題だと思う。謂わば、ネット上のリテラシーということが、歌詞の日本語訳という事柄にも関わってくるのである。
僕は決して、自分の日本語訳が完璧でこれが決定版だ、とは思っていない。もどかしくも言葉足らずのまま和訳してしまっているなあ…と感じている箇所を幾分残したまま掲載することもある。
だから、あるときふと、もっと良い訳語や表現が浮かんだとき、躊躇わずに更新することにしている。適宜アップデートすることが出来る、というのは、ネットの大きな利点のひとつだ。
そんな風に、何かを取り残したような感触を持ったまま掲載することも、時にはあるのだけれども、それでも巷間にある他の日本語訳よりは遥かに良く出来ている筈だ、という自負は持っているつもりである。
お陰様で、この歌詞対訳シリーズの中の幾つかが、このブログの参照数ランキングでいつも上位に入っている。それだけ、読みに来て参考になさる方が多いということなのだろう、と思う。実に、有り難いことである。
上に述べたように、歌詞の対訳は、僕にとって載せるべきものがもう余り多くはないので、以前のように定期的に載せるということはないかも知れない。
でも、『ICO -You were there-』のように、これは!というものがあれば、また是非とも載せてみたいと思う。僕も、そういった作品に遭遇する次の機会を、こうしてじっと待っているのである…。
(きのうのうさぎ。何を思ったのか、ケージの中で立ち上がる。ねこ共々、暑くてもよく食べよく寝ている)
……