いま「さようなら」は言わずとも、唯々「有難うございました」だけは申し上げたくて…

トップの写真は、ちいーの園のビオラたち。本日の撮影。

先達ての日曜日、鉢植えのビオラの植え替えをした。ちいーに擬えて白いビオラを部屋置きにしたのに、何故なのか、やや萎れてきたのである。
きっと、鉢よりも地面の方が良かったのだろうと思って、ちいーの園の空いている場所に植え替えたのだ。少し混み合ってきてしまったけれども、ちゃんと根付けば良いなあと思っていた。

すると、どうだろう。植え替えた甲斐あってか、その後は持ち直して、萎れかけていた蕾が咲いた。水を遣ったり追肥をしたり、毎日世話をしたお陰かも知れない。まあ、良かった良かった。


さて、本日は、ひとつ買い物をした。と言っても、小さな買物である。でも僕は、この品を大切にするつもりだ。

ネット上に、「勝谷誠彦ショップ」というサイトがある。先日逝去された、勝谷誠彦氏のグッズを販売するサイトである。今ここには、昨年勝谷氏が兵庫知事選挙に立候補した際に作られた、オリジナルTシャツやタオルが売られている。


(出典:「勝谷誠彦ショップ」)

このショップで何か、最後の思い出になるものを購入しておこうと考えたのである。今後、ひょっとすると、このサイトは閉じられるかも知れないではないか。
もしそうなったら、勝谷誠彦グッズは永久に手に入らなくなるかも…。そう思うと、ちょっと居ても立っても居られなくなったのである。

そういえば、僕は以前、勝谷誠彦氏が撮影した写真をひとつ頂いたことがある。何年前だっただろうか、有料配信メール「勝谷誠彦の××な日々。」の企画で、日蝕の写真を抽選でプレゼントということがあったのだ。
その写真は、勝谷氏がまだNTV系の番組「スッキリ」に出演していた当時、放送中にそのTV局の屋上で撮影したものなのである。出演者たちが皆んなで日蝕を観る、というコーナーが当日の番組の中であったのだ。

僕はたまたま、その日の「スッキリ」を観ていた。勝谷氏が一眼レフで、日蝕を手持ち撮影している場面がTVに映されていたのを今でも覚えている。その写真を頂いたのである。
それは、グレーの空と雲を背景に、金環食の状態となった太陽が白く縁取られ写されていた。とても手持ちで撮影したとは思われぬような、鮮やかな写真だったのである。右隅には、英字の筆記体で勝谷誠彦氏の署名が入っていた。

そのようなことがあったのを思い出し、今回また、購入という形で勝谷誠彦氏に関係したものを手に入れておきたくなったのである。注文した品が届くのを、今から心待ちにしたいと思っている…。


さて、下は、文藝春秋の元先輩編集者、柳澤健氏の手による、勝谷誠彦氏への追悼文(サムネイル)のスクリーンショットである。


(出典:「文春オンライン」)

流石、練達の書き手による文章だけあって、実に端正で洗練されている、極めて美しい文だと思う。締めくくりの3行、「勝谷誠彦は精いっぱい生きたのだ。さようなら、勝谷誠彦。君は天才だった。」が泣かせる…。
勝谷誠彦氏は、よく配信メールで「(マネージャーの)T-1君は天才」とか「(メール発行人の)ヨロンさんも天才」というように、周囲の人々を天才と称して讃美するのがお好きであった。でも、いちばんの天才は、上の追悼文にもあるように勝谷氏ご自身だったのかも知れない。

僕が勝谷氏の文章を、「さるさる日記」ではじめて読んだとき、豊富な古典の知識に基づく漢語の多さにまず惹かれた。それらを全部書き出してコーパスを作ってみようか、と着想したくらいだったのだ。
しかし、それは日々更新される日記だったので、とてもではないがコーパス作りは追いつかないと思い、やめた。その代わり、毎日欠かさず具に読んだ。それがここまで15年以上も続いたのである。

しかしもう、勝谷氏からは何も送られて来ないのだ。新たな文章を目にすることも出来なくなった。そのことが、ひとえに切ない…。僕は、先日自分のねこ(ちいー)を見送ったときのように、勝谷誠彦氏に対しても「さようなら」は言わないつもりだ。
でも、「有難うございました」ということだけは申し上げておきたいのである。オンラインの日記や配信メールで、これまでにどれだけ多くのことを教えられたことか。そのことに対し、僕は唯々感謝の念が絶えないのだ…。

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