トップの写真は、うちのリビングの片隅に置かれた、クリスマスプレゼント4人分。
生憎と、まだツリーは出していない。でも、その予定地に、今はプレゼントだけ並べられているという状態なのであるw 最近は毎年こんな風に、ツリーの下に置いておくことにしているのだ。
ひとつだけ無骨にタワーレコードの段ボール箱のまま置いてあるけれども、これは僕がかみさん用に買った『カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』という新作CDが入っている…ということはまだ内緒だw
『カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』
他は、かみさんが僕や子供たち用に買ったもの。本をプレゼントしてくれることが多い。今回は、娘の分だけ、多分リクエストがあったのだろう、CDが入っているようである。
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さて、その『カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』だけれども、YouTubeで一部楽曲の試聴動画がアップされている。下は、その中の一曲、「I Need To Be In Love」。この曲も含め全曲のアレンジと指揮は勿論、兄のリチャード・カーペンターである。
僕は、ちょっとビターで思索的な内容のこの曲の歌詞も相まって、多分カーペンターズの中では、これがいちばんお気に入りの曲かも知れない、と思う。
この新作CDのバージョンでは、ミュージカル風の豪華なフルオーケストラのイントロが何と、1分近くも流れる。そこからとても上手くオリジナルのイントロへと繋ぐ。そして、いよいよカレンの歌声が始まるのだ。
きっと、このCD制作にあたって、カレンの声は一旦リマスターされたのだろう。音質がより明瞭になり、音圧も上がっているようである。
それから、フルオケの音のみならず、ドラムスやベース、ピアノやコーラスなどの楽音も、今回のレコーディングで全て録り直し、もしくはリマスターを行ったのだろうと思う。特に、ドラムスの音が良くなっていると感じる。
リチャードは、インタビューの中で、昔は予算の関係で作りたくても作れなかった音を今回実現した、という趣旨のことを言っていた。何という、長きに渡る情熱だろうか、と思う。
つまり、来年のカーペンターズのデビュー50周年を前に、カレンの歌声を再び蘇らせ、凡ゆる楽器の音を追加一新し、カーペンターズを文字通り再生し復活させたのだ。
そして、これからもカーペンターズの楽曲を歴史の中に埋もれさせるのではなく、時の篩(ふるい)にも耐えられるような、長く愛されるべき音楽として、今回リチャードがこれからの時代にも合うようアップデートさせた、というわけなのだろう。
リチャードはもう、御年72歳。忌憚なく言えば、自分の眼の黒い内に、そういった道筋をしっかりと付けておきたかったということなのだと思う。今作の売り行き次第では、続編もあり得るとも述べていた。是非とも、期待したい。
やはりカーペンターズは、100年でも200年でも、人類が末長く残すべき音楽のひとつであろう。僕もそう感じている。きっと、リチャードも…。
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先日、息子の高校の三者面談があった。仕事の都合で、僕ではなく、かみさんが行った。内容は、受験校の検討である。
息子は、英語の成績だけがどうも相変わらず冴えないのだけれども、かみさんの話では、担任の先生が「英語に対する関心を上げさせられなくて申し訳ありません」と頭を下げて来たのだという。いやあ、恐惶至極。全く恐縮の至りである…。
理数科目は校内でも特に良く出来る方なので、「私立大の受験校をもっと多くして下さい。このままでは勿体ないです」とも言われたそうだ。高校としては、きっと合格実績を稼いで欲しいのだろう。
でも、一校受けるだけで数万円もの出費になるので、滑り止めにそんな多くの金額は掛けたくない、というのがこちらの本音だ。本命は飽くまでも、国立大学(前期日程と後期日程の計2校)なのである。
でも、仕方がないのでw、私立は都内の理系大学をもうひとつくらい受けても良いかな、とも思う。その大学は、同じような学部が多く、重複して受験することが勿論可能だからだ。
それ以下のレベルの大学には興味がないし、それ以上のランクの大学は英語力が引っ掛かって、ひょっとすると合格は難しくなるかも知れない。やはり、第3志望以下はその理系大学で埋めておくのが妥当だと思う。息子も同じ考えだろう。
こういったことを、25日までに決めて、高校に報告の書類を提出しなければならないのだそうだ。実際の出願は1月からなのに、どうも年末進行で急がせられてしまうw
年末進行といえば、僕の早朝の仕事も塾の仕事も、今度の日曜日頃から休みが無しになる。30日まで土日返上で一気に走り抜けるのだ。まあ、毎年恒例ではあるけれども。
そのために、僕は前休みを2日間取っておいた。そこで、ゆっくりと、息子の受験校を詰めてみたいと思う。パンフレットや入試要項などの資料を改めてよく読んで考えるのだ。
大学は畢竟、一生モノである。実は、僕はその選択を誤って(親に誤らされて、と言うべきか…)、今でも後悔している。息子には、十分な情報と判断で選択して貰いたいと思っている…。
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