前回の補足と、英語のちょっとしたお話と、思いがけず手に入れることが出来た田川建三博士の本と、なのだ…

初めに、前回の投稿の補足をば…。
僕は、SNSをこのブログの下書き(アイデアメモ代わり)に使うことがよくある。つまり、ほぼ同じ内容をSNSにも、少し先行して書いているというわけである。

前回の、明け方に金星と木星とさそり座のアンタレスが見えた、という内容に関して、「冬でもさそり座が見えるのですか?」という質問をSNS上のフレンドのひとりから受けた。その答えについて、ここにも記しておきたいと思う。
結論から言うと、見えるのである。確かに、さそり座は夏の星座として名高い。何故、夏の星座として考えられているのかと言うと、その季節の夜間の南天にそれが見えるからなのである。夏の夜の見やすい時刻によく見えるから、「夏の星座」という訳だ。

でも、冬になったら全く見えないかと言うと、そうでもない。季節が反対なので、基本的には昼の間に南中することになる。でも、日が出る前、ほんの少しの間(1時間半くらいの間)だけ観察できるのである。僕はそのときに見たのだ。
下のスクリーンショットは、国立天文台の「今日のほしぞら」というサイトから。ちょっと文字同士が被って見にくいけれども、例えば午前5時の南東の低いところに、金星と木星、そしてさそり座が一緒になって記されているのがお分かり頂けるだろうと思う…。


さて、きのうは、塾の仕事が休みだったので、夕方から図書館に行って、漸く順番の回ってきた森博嗣の近刊を一冊借りた。小説のあとがき集のような本なのである。
書名は『森には森の風が吹く』。なかなかウィットが効いているタイトルだw ちなみに、森博嗣氏は今、某国で森の中の一軒家に、家族やペットの犬たちと共に住んでいるらしい。

あと、高倉健主演の映画、『八甲田山』のDVDも借りた。『動乱』という、二・二六事件に材を取った映画が重厚な雰囲気で結構面白かったので、同じ監督と主演のこの作品も観てみることにしたのだ。
以前、同じく高倉健主演の『遙かなる山の呼び声』という作品について少し書いたことがあった。それを観たときには、これぞ健サンの最高傑作、という気がしたのだけれども、実は『動乱』を観た後にもそのように感じた。

きっと、僕は画面の中の高倉健の存在感に圧倒されて、その度に最高傑作!と思ってしまうようだ。他にも色々な映画で、そう思ったことがあったからである。つまり、どれもこれも、面白い。
『八甲田山』は、実に有名な作品なのだけれども、これまで何故か未見であった。先達て、都内で生のオーケストラ演奏によるリバイバル上映が行われたらしい。それ程の伝説的な名画なのだ。DVDの鑑賞が今から楽しみである…。


さて、それから、帰りにブックオフに立ち寄った。先達て、この店で某国立大学の赤本(過去問題集)を見かけたのだけれども、やっぱり買っておこうと思ったのだ。多分、息子はここも受けることになるだろう、と考えたのである。
加えて、デイビッド・セインという人が書いた英語の本を2冊。僕はこの人の本を既に何冊か持っているけれども、どれもこれも実に面白い。ネイティブは英語をこう表現する、という切り口がとても参考になるし、授業のちょっとしたネタにもなるのだw

上の写真は、きのう買った本の方からのひとコマ。この本にしては珍しく(?)学校英語のような文法的な解説を加えているので目についたのである。この項を読んで、野球界で超有名なN氏のエピソードを思い出したのは、僕だけではあるまいw
それは、N氏が海外のホテルで「プリーズ コール ミー タクシー」と言ったというものだ。TV等でお笑い芸人さん達がよくネタにしていたのである。「それじゃあ、『私をタクシーと呼んで下さい』という意味になっちゃうよ」と。

では、どう言えば正しくなるのか?というのが上のページに書かれている。taxi の前に a を付けるというわけだ。”call A B”という形には、「A(主に人)をB(名前)と呼ぶ」と「A(主に人)にB(主に物)を呼ぶ」のふた通りの意味がある。
Bが taxi のままだと、冠詞が付いていないので、車としてのタクシーとは認識されず、名前(固有名詞)だと思われてしまう。逆に、Bを車のタクシーの意味にしたければ、前に a を付けて普通名詞であることを表現しましょう。…上のページの説明はそう述べたいのだと思う。

日本語には冠詞というものが存在しないので、これは実にややこしいことだなと、我々はついそう感じてしまう。まあ、そういったことは畢竟、慣れて覚えていくしかないのかも知れない。
でも、実際の英会話の現場では、くだんの a を付け忘れても、タクシーを呼んで貰えるのではないか等と、殆どアジアの非英語圏ばかりでしか英語を使ったことのない僕なんかは愚行するのだけれども…。

さてさて、ブックオフでの掘り出し物。それは、新約聖書学者の田川建三博士の本、『イエスという男』の第二版増補改訂版である。
ブックオフで田川博士の本を買うのは初めてだ。何せ、(多分)そんなに数多く流通しているわけではないからである。そんな少々レアな本を、見た目が新品同様の上、定価(約3000円)より1000円も安く買えたのだ。これは僥倖、嬉しい。

奥付を見ると、昨年9月発行の第11刷の本なので、まだ最近のことである。本を開いてページを捲るや、インクの匂いが仄かに立ち昇る。それから、栞紐を動かした形跡もない。これはきっと、未読のまま買取に出されたのだろう、と感じた。
この本の真っ白な装丁が汚れないよう、早速お菓子の包装紙でカバーを掛けた。帯の名文句、「イエスはキリスト教の先駆者ではない。歴史の先駆者である」が見えなくなってしまうけれども、止むを得まい。深い緑色もまた、よく似合っているぞw

この本の1980年に出版された初版は、10年近く前に図書館で借りて読んだことがあるけれども、今回入手した改訂版を読むのは多分初めてだろう。大切にしながら、長く愛読しようと思う…。

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これは、新約聖書の福音書に登場するイエスという人物を、キリスト教の信仰的な立場(謂わば、神のひとり子)で見るのではなく、ユダヤのナザレに生まれたひとりの男(逆説的反逆者)として見たらどうなるか、ということをじっくりと考察した内容の本です。田川博士の他の書籍と同様、全篇これ田川建三節といった感じで、ファンにとっては特に堪らない一冊となっています。

田川建三 著『イエスという男 第二版 増補改訂』
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