奇遇とは、このようなことを言うのだろうか。
先達ての投稿で、僕が寝ている間に見た夢について書いたことがあった。その際に、僕が嘗て会社勤めをしていたときの、海外取引先のカウンターパートへと話が逸れた。中国系マレーシア人の、Yさんである。
そのYさんから先日、突然の如くメールが届いたのだ。もう何年振りになるのだろう。何せ、彼が、そのマレーシアの企業を退職して、ミシュランの現地法人へと転職してしまったので、自然に疎遠となってしまっていたのだ。
メールの内容は、特にどうということはなく、娘は15歳になったよ…とか、息子は9歳だ…とか、そちらも皆さん元気ですか…とか、そんなことが書いてあった。近況報告と機嫌伺いである。
しかし、ひょっとしたら、もう10年近くもお互い連絡を取り合っていなかっただろうに、僕がブログで彼について触れた途端、こうして連絡をして来てくれるなんて、実に不思議なことである。
ちなみに、彼は日本語を読むことが出来ない。(ただ、中国語育ちなので、漢字は読める)この僕のブログの存在も知らない筈だ。だから、Yさんがブログの投稿を読んでメールを送って来た、というのは有り得ないだろう。
僕は、霊感とか、テレパシーとか、そういう類の超常現象については極めて懐疑的なので(…話のネタとしては面白いと思うことはあるけれども)、僕が投稿の中でYさんについて書いたことによって、遥か数千キロ先の南国に住む彼の元へ何かのパワーが飛んでいった、とは思っていない。
でもまあ、そろそろ、お互いが其々を思い出すようなタイミングだったのだろう。そんな偶然性は、きっと存在するのかも知れない。この世界は、何といっても、偶然だらけなのだから。
返信で、僕は取り敢えず、自分の近況を簡単に記した文面に、3枚の写真を添付してメールを送信した。昨年、作曲家のS先生と撮らせていただいた僕の写真と、息子が東京理科大学のオープンキャンパスに行ったときの写真、あと、うちのねこの写真(今回のトップの写真)である。
それから、僕が撮った写真がたくさん見られるよ、と書いて、このブログのアドレスも記しておいた。文章は日本語だけだけれども、とも添えて。
あと、僕のSNSのアドレスも教えた。もしYさんも、そこのメンバーならば、是非フレンドになりましょう、とも。僕は、SNSの方では、外国人のフレンドが他に何人かいる関係で、英語でも投稿することがある。今後Yさんとやり取りする上でもSNSは有用だろう、と考えたのだ。
それにしても、奇遇といえば奇遇。実に、面白い巡り合わせだ。こうして、Yさんとも、またまめに連絡を取り合ってみよう、と思っている。いつの日か、再会できることを願いつつ…。
さて、これも先達て書いた、日本が世界に誇る新約聖書学者、田川建三博士の『新約聖書 訳と註』の最終巻が、昨日だっただろうか、ついに発売された。僕の手元には、今日届いた。
新約聖書の中の「ヨハネの黙示録」の、ギリシア語原文からの日本語訳と、その訳註である。価格は税込みで7,000円以上、800ページをゆうに超える大著だ。
ページの内訳は、「本文の訳」が約40ページ、「本文への註」が約800ページ(!)、「解説と後書き」が約15ページである。ファンの方、ご参考にw
このシリーズでは、翻訳と註釈の執筆が困難を極め、発売は延期を重ねに重ねた。それが、ついに完結となったのである。13年に渡る博士のご苦労には、本当に頭が下がる思いだ。
僕は、これからじっくり読むことになるのだけれども、博士がご自身のサイトで書かれているように、「実際には、よほど時間の余裕のある人でない限り、とても読み通すことは不可能」なのかも知れない。
でも、新約聖書の研究とは、やはりこうして一生涯かかるものなのである。まさしくライフワーク。そして、田川建三博士は、これから『新約聖書 訳と註』シリーズを集大成した本の執筆に取り掛かる予定なのだそうだ。
僕も、博士の足元にも及ばない僅かなギリシア語の知識を動員しながら、この『新約聖書 訳と註』を時間をかけて読み通し、且つ、部分的な私訳にも取り組んでみるなど(…いや、これは既にやっているけれども…)、これからも新約聖書について色々考えていきたいと思う。
いま、この本の後書きをパラパラとめくっていたら、紙面から立ち昇るインクの匂いと共に、「今現在は、へとへとです」という文言が目に飛び込んで来た。博士、お疲れ様でした。今度、感想をメールいたしますので。
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実は、僕は密かに、この田川建三博士こそ、近い将来のノーベル文学賞に相応しいと思っている。そのくらい歴史的に大きな功績があると思うのだけれども、(注釈のページ数の方が遥かに多いとはいえ、一応の)翻訳書では多分、受賞の前例がないだろう。評価とは、実に難しいものである。
田川建三 訳著『新約聖書 訳と註 第七巻 ヨハネの黙示録』
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