僕が間違えてしまったお話を、ふたつ…

トップの写真は、本日のうちのねこ。

娘の座布団の上で、微妙に日向を避けながら、微睡んでいるところ。ねこにとっても今はやはり秋なのだろう、ここのところ食欲が特に旺盛なのだ。僕に食べ物をよくせがむのである。

さて、先達ての投稿で僕は、森博嗣氏が、今はオーストラリアもしくはニュージーランドにお住まいなのではないか、と書いた。今日の森センセイのブログ「店主の雑駁」を読んで、それが違うような気がしてきたのである。どうも、すみません…。

冒頭から1~2行目に、こう書いてある。

樹の葉も色づき始めたものがちらほら。これから、黄色とオレンジの明るい森林になるはずです(後略)

これから紅葉の季節を迎えるということであろう。…ということは、南半球ではないのである(苦笑…どうもすみません)。

そこで、はたと思い出したことがある(…ちと遅かった)。この「店主の雑駁」が開設される1ヶ月前まで、別のサイトで森センセイは、ウェブ連載のエッセイを執筆されていたのである。
未知なき道」という。こちらは書籍化を前提とした連載だったそうだ。そのエッセイの第3回、2017年2月15日付。例によって、森センセイ撮影の写真が載っているのだけれども、このようなキャプションが付いている。

庭園内はもう雪景色。氷点下でも外で遊びます。

うーん、2月の時点で「雪景色」ということは、やはり北半球の何処かですね。僕が阿保でした…(笑。どうも、すみません。

というわけで、森博嗣氏が何処にお住まいなのか、謎が深まったのであった…。案外、北海道とか、国内だったりして!?実に、ミステリアスである…。


さて、間違えたというお話を、もうひとつ。でも、これは僕がひとりで右往左往したという出来事だ。道に迷ったのだ。しかも、かつて何回も行ったことのある場所へ行くのに、である。

先日の投稿で、息子の自転車の前輪のパンク修理をしようとした、ということを書いた。ホームセンターで修理して貰った際に貼ったパッチが剥がれかけてきたために、空気漏れが再発したのである。
それで、僕は、そのチューブをこれ以上修理するのは不可能と見做し、新しいチューブを入れることにしたのだ。それで、先日、塾の仕事へ行く途中に、車で量販店に立ち寄ることにした。

その量販店には、100円ショップもある。以前、300円商品で、自転車のチューブが売られているのを見たことがあった。試しに使ってみようと思ったのだけれども、そのときは買わなかったのだ。
そのことを今回思い出し、息子の自転車に使ってみよう、と考えて買いに向かったのである。もしもう売っていなければ、その量販店の方でメーカー製のチューブを買ってもいいかな(…もし値段が見合えば)とも考えていた。

しかし、車で行けども行けども、その量販店になかなか到着しないのである。一応カーナビには(旧店舗名ながら)表示はされている。でも、僕は肝心なところで間違えて左折をする、ということを2回もやってしまった。その度に、住宅地の中の不案内な場所を彷徨うのである…。
何と言うか、記憶が衰えてきているのだろうか。その店には何年か振りで(何年なのかは忘れたw)行くのだけれども、その極めて単純な道筋すらも覚えていなかったのだ。本当は、まっすぐ走って、ある交差点で一回左折するだけで良かったのに。

それで、結局お目当のチューブは見つからず。まあ、100円ショップではよくあることだけれども、既にディスコンになっていたのだろう。見かけて以来、これも何年も経っているからである。
仕方がないので、200円商品で、パンク修理セットを買った。パッチ3種類と、ゴム糊、紙やすりや説明書まで付いている。タイヤレバー以外は揃っているセットだ。いつか使うときのために取って置くのである。

量販店の方も見て回ったけれども、チューブは案外高かった。これならば、Amazonで買えばいいや、と思ったのである。その他にもAmazonで買おうと思っていたものがあるので、纏めてポチっておくことにするのだ。

そんなわけで、苦労して辿り着いた割には、実りのない買い物であった。だからなのかどうなのか、僕は実店舗で物を買うのが物凄く億劫に感じることがある。例えば図書館のように、在庫の有無を事前に検索して確認できないからなのだろう、と思う。

息子がオーストラリアから帰って来て、また高校に通学するまでには暫く日数がある。それまでに、前輪の修理を終えておこうと思う。あと、スタンドも壊れていたので、これも注文した。併せて交換するつもりだ。

さて、昨日、2017年9月25日は、グレン・グールドの誕生日であった。もし生きていれば、85歳になっていたのだ。僕は余り他人の誕生日を祝うことはないのだけれども(それ程めでたいことだとは思えないので)、今は亡き天才は別格であろう。こうして、また回顧するのだ。グールドの音楽は、いつも(耳からでも頭からでも)聴いているけど。

写真は、『ゴルトベルク変奏曲』の旧録音と新録音+αの3枚組CDである。僕のピアノに載せて撮った。このCDは、これまた熱心なグールドファンである、僕の弟から貰った。何やら、重複して買ってしまったとかで。

弟は、初めての海外旅行が、カナダだった。目的は、グールドのお墓参りだったのである。
国立大学の理学部(物理学科)を出ておきながら、英語はからっきしの苦手(…おや、僕の息子に似てなくもないw)というのに、ひとりで行ってきたのだそうだ。よく帰って来られたと思うw

来月、10月4日は、グールドの没後35年に当たる。グールドは50歳の誕生日を迎えたすぐ後に亡くなったのである。もし今も生きていたら、どんな活動をしただろうか?
1980年代に入って、デジタルレコーディング技術が急速に発達してきた。カラヤンは真っ先にこれに飛びつき、レパートリーを次々とデジタル録音していった、というのは有名な話。そのお陰で、我々は、今もカラヤン指揮の作品を比較的高音質で聴き続けることが出来るのである。

グールドも、もしあと10年か、少なくとも数年でも長く生きていれば、平均律クラヴィーア曲集やらトッカータ集やら、バッハの色々な作品をもう一回、デジタルレコーディングで残したかもしれない、と思う。グールドも、スタジオ録音ということに非常に拘った音楽家だからだ。そして、次々と発展していくテクノロジーに目を見張っただろう。

そう考えると、ちょっとワクワクして来るけれども、亡き子の齢を数えるようなものである…。天才は、時として、何故このように夭折するのであろうか。この世は生き難かっただろうか。どうだったのか、僕はそれだけはグールドに訊いてみたいものだと思っている。

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これは、もうだいぶ以前に発売されたのだけれども、僕が密かに次に買おうと考えているCDボックス。グールドのバッハ録音の全集である。DVDも何枚か付いている。既に持っているものと重複するので、どうしようか、というのが思案のしどころだ。

『Glenn Gould Bach Edition Box set』(38CDs&6DVDs)
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