懐かしのBCLラジオを復活させようと思って、修理に取り掛かってみたのだ(前編)…

僕は、小学生のときからのラジオ好きである。その当時は、TVもまあ、人並みには見ていたと思う。しかし、この時代にはよくある話で、父親がチャンネルの独占権を持っていたために、夜は大抵、好きな番組を見ることが出来なかったのだ。

従って、僕は主に、夕方の再放送のアニメをよく見た。例えば、思いつくままに挙げてみると、『巨人の星』、『機動戦士ガンダム』、『宇宙戦艦ヤマト』、『オバケのQ太郎』などなどである。
でも、土曜日の夜は、少しだけ夜更かしをしても良いということになっていたので(子供は平日8時就寝と決まっていた)、『8時だョ!全員集合』を見せて貰えた。場合によっては、その後の『Gメン’75』も。

平日の夜は結局、父がニュースやらナイター中継やら、世界紀行の番組やらをいつも見続けるので、僕はTVを見ずに、何か他のことをすることになる。そこで、登場したのが、ラジオだったというわけだ。
ラジオは初め、組み立てキットという形で僕の前に現れた。いや、それ以前にも、トリオのステレオであるとか、ナショナルのラジカセであるとか、ラジオは家の中に数台あったのだけれども、まず僕の興味を引いたのは、このキットだったのである。

それは、学研の学習誌の付録だった。5~6年生のときだったか、ダイオードラジオの簡素な組み立てキットが付いていたことがあった。本体は黄緑色で細長い。イヤホンをはめる穴と、赤いエナメル線を巻いたコイルが備えられていた。


(出典:「学研クロニクル・テーマ別ふろくギャラリー「ラジオ」

上の写真は多分、別の年度のものだろうと思う。本体の色味が、僕の記憶とやや異なる。でも、全体的な形状は正にこれだった。僕は、横長にして使っていたけれども。
このキットは、エナメル線をコイルの芯に巻くところから始めるのである。それから、ダイオードとコンデンサを本体に嵌めて、クリスタルイヤホンを繋ぐ。あとは、余ったエナメル線を伸ばして、部屋の高いところに張り巡らせる。

すると、微かな音ながら、NHKの大相撲中継のアナウンスが聞こえてきたのだ。ちなみに、ダイオードラジオは電源を利用しない。受信した電波を増幅せずに、そのまま聞くのである。だから、音は小さい。
でも、この微かな音は、僕を感激させるに十分であった。クリスタルイヤホンを通して、鼓膜の奥をくすぐる様にして鳴らされる、囁き声。それは、僕を確実に、新しい世界へと誘(いざな)っていた。

以来、僕はラジオの虜になる。数ヶ月後の誕生日には、母に所望して、ポケットラジオを買って貰った。AMとFMの2バンドである。SONYの製品で、四角く縦長のスタイリッシュなデザインだった。


(出典:Radiomuseum「FM/AM 2Band Receiver ICF-3870」)

これは、小さいながらも実に感度の良い、高性能なラジオだった。電波の受信状態に応じて、赤いLEDだったかムギ球だったかが明滅するのも大変に良かった。僕は、これを使って、AM放送の遠距離受信に挑戦するようになっていったのである。
僕が子供の頃に住んでいたのは長野県内だったのだけれども、そこから東京や大阪の放送を受信してみた。また、同時に、海外のラジオ局が日本語放送を行なっているということにも気づいたのだ。

こうして徐々に、僕はBCL、つまり遠距離受信のラジオ放送を聴取するホビーへと目覚めていくようになる。時あたかも、BCLブームの末期であった。その最後尾に、僕は乗っかたのだと思う。

中学生になり、僕は相変わらずICF-3870を愛用してラジオを聴いていた。自室を与えられ、そこに篭って、勉強をしながら聴くようになったのである。
また、それに加えて、父のステレオの使い方も覚えた。トリオのフルセットだ。勿論、チューナーも付いていたので、特にFMのラジオ放送を、ポケットラジオよりも遥かに高音質で楽しむことが出来た。

BCLの情報は、その世界では"神様"と慕われた、故山田耕嗣さんの書籍や、電波新聞社発行の『ラジオの製作』誌を読んで集めた。これらもまた、僕は小学生の頃から購読していたのである。
すると、BCLの主なフィールドは、中波よりも短波にあるということにすぐ気づいたのだ。ポケットラジオの「AM」とは、中波を意味する。それよりも高い周波数帯に、もっと沢山の海外放送が文字通り軒を連ねていたのである。

中学生になってからの僕は、短波放送も受信できるラジオ(所謂、BCLラジオ)にも興味を持ち始めた。是非とも、BCLラジオで数多ある海外の日本語放送を聴いてみたい…そう願っていたのである。
父にそんな話をしてみたところ、暫くして、勉強の成績が上がったら、次の誕生日にBCLラジオを買ってやる、という返事をくれた。僕は、大喜びで勉強に励みw、念願のラジオを手にすることが出来たのである。

それが、SONYのICF-2001、通称Voice of Japanであった。多分、選局ダイヤルを搭載していない、世界初のラジオである。周波数をテンキーで入力して選局を行う。
僕は、雑誌の広告や記事でこのラジオを目にして、これだ!と思った。一目惚れのようなものである。実に先進的。コンピュータというものが、まだやや遠い憧れの時代に先にやって来た、未来のラジオ。そんな風に見えたのだ。


(出典:三才ブックス刊『なつかしBCL大全』)

上の写真は、当時の広告の一例。僕がよく目にしていたものとは別デザインの広告だけれども、こんな風に、「マイコン」搭載であることや「未来技術」であることを強くアピールしていたのである。
僕は、上述のように元々、SONYのポケットラジオを愛用していたので、SONYに対しては愛着のようなものを持ち始めていた。そこに加えて、この未来的なラジオである。これは、僕をSONYファンにさせるには十分であったのだ。

そして、中学のある年の誕生日に、僕は遂にICF-2001を買って貰うことが出来た。父の会社に出入りしていた電気屋さんが、家に届けに来てくれたのである。そのときのことは今でもよく覚えている。
両の手に乗るくらいの大きさのカートンには、青い宇宙の中に地球のような球体が描かれている。そこからは、電波をイメージしてか、黄色い円弧が多数伸びている。SF的なデザインだ。それが、今回のトップの写真である。

僕は、このICF-2001を、外箱も含めて今でも、この家に所有している。ただ、説明書や「ウェーブ・ハンドブック」という解説書などは、何故か弟が持っているので、ここには無い。
外箱を開けると、下のように、今でも買ったときのまま、ビニールのクッションやシートに包まれ、付属品のショルダーストラップともに収められている。

さて、実はこのICF-2001、いつの間にか不動品となって、暫く使わなくなっていたのである。弟と共に修理に挑戦してみようしたこともあった。
そして、先達て図書館で、『なつかしBCL大全』というムックを借りて、とても懐かしくなり、改めて重い腰を上げw、再び修理に挑んでみることにしたのだ。

さてさて、もうだいぶ紙幅を使ってしまったので、実際の修理の経緯については、次回に回すことにしたいと思う。ではでは、お楽しみに…。

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上でご紹介したムックはこちら。日本の主なBCLラジオメーカーであった、SONYと松下電器を中心に、数多くの機種が紹介されています。あと、山田耕嗣さんの特集も。当時のレア音源のCDも付いています…。嘗てのBCLファンは必見かも。

『なつかしBCL大全』
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