僕は、中学生のときには、英語担当のH先生に半ば怯えながら過ごし、一方で、教育社の『トレーニングペーパー』を利用して、英語の自宅学習を行なっていた。その辺りが、前回のお話。
さて、高校に入学すると、英語の先生が担任となった。こちらも、中学のときと同様、3年間持ち上がりである。この先生は、頭髪がやや薄くなりかけてきた、中年の男性教師だった。実に穏やかで温厚、滅多に怒らないという、H先生とはまるっきり反対のタイプだったのである。
そして、僕は高校では、とうとう英語を殆ど勉強しなかった。自宅でも、である。中学のときから引き続き購読していた『トレーニングペーパー』も全く手をつけなくなり、やめた。担任の先生の温厚ぶりに対し、僕は完全に依存して自堕落になっていたのかも知れない。
まあ、高校の勉強を余りしなくなった大きな理由のひとつは、以前も書いた、パソコンの影響があろうかと思う。パソコンのゲームや音楽(コンピュータ・ミュージック)に熱中する余り、学校の勉強はそっちのけになったのだ。あと、それに併せて、音楽の勉強をする必要があったので、学校の勉強をしている時間が余りなかったのである(…言い訳)。
そんな高校生活を送っていても、いつかどこかで勉強をしなければならなくなる時は来る。大学受験である。
僕は、それまでのツケを払うが如く、高校に入学してからの分を、受験勉強で一気に取り戻す必要が出てきた。初めから私立大学志望だったので、飽くまでも3科目限定ではあったけれども。
そこで、市内では大手の、ある予備校の受験講座に通うことになったのである。
その予備校には、専任の比較的若い先生たちと、非常勤のお年を召した先生たちの、2種類の教師がいた。お年を召した方の先生たちは、高校教師を定年退職して、予備校に教えに来ていたというわけである。
(僕が通った予備校。ネットの拾い物の写真です)
その中に、K先生という、紳士然としたスラッと背の高い、60代の英語教師がいた。黒縁メガネをかけ、頭髪はロマンスグレー。如何にも学者のような理知的な風貌だったけれども、ご本人の口癖は、「教師を長くやっていると、野暮ったくなってしまって、何を着ても似合わない」であった。
それは、井上陽水のような、少々高く裏返ったような声だった。加えて、発音がやや日本人離れしている。僕は最初、ひょっとすると、この先生は日本人ではないのかも知れない、と思ったくらいだった。
振り返って見るに、僕は、数多ある先生たちの中で、このK先生から最も多くのことを学び、いちばんの影響を受けてきたのかも知れない、と思う。それ程までに、今まで見たことがなかったようなタイプの教師だったのである…。(次回に、つづく)
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K先生は、旧制松本高校で、熊井啓監督と同級生で親友だったらしいです。熊井啓監督といえば、代表作のひとつに、この『黒部の太陽』が挙げられるでしょうか…。
『黒部の太陽 [特別版]』(Blu-ray)
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