先達ての日曜日のことだけれども、午前の早い時刻から献血に行って来た。土日は早めに行かないと激しく混むのである。でも、受付開始の4分後に着いたのにも拘らず、もう数名の先客がいたw 皆さん、お早い…。
献血は、16歳から可能である。2年前に、息子がその年齢になった後、僕は献血に連れて行ってやった。うちの子供たちは、自分の血液型を調べて貰ったことがないので、何型であるのか知らなかった。僕もかみさんも、知らなかったのだ。
そこで、献血の前に、採取した微量の血液に試薬を垂らして調べて貰ったことがある。2種類の試薬を使うのだけれども、その反応の組み合わせによって、血液型が分かるというわけだ。
その結果、息子の血液型は、かみさんのそれと同じものであることが判明した。僕にとっては、驚愕の事実であったw 何処をどう切っても僕そっくりなのに、血液だけは、かみさんの型を継いだのだ…。
帰宅してから、息子の血液型をかみさんに伝えると、かみさんは思わず「よしっ」とガッツポーズを取っていたw やっぱりね、普段から見ていると、私と同じ血液型じゃないかなと思っていたんだ、とも言っていた。
つまり、よくある血液型の類型で、息子の性格を考えると、自分と同じ血液型だとしか思えなかったと、かみさんは言うのである。そうかなあ、僕から見ると、僕の血液型だとしか思えなかったのだけれども…。
この、血液型が性格に反映されるという一種の信仰(?)は、日本独特のものなのだろうか。何かで、そのように読んだことがある。そう言えば、海外では、血液型の話題になったことが一切ないように思うのだ。
そんなことが2年ほど前にあって、今年は先達て、娘が16歳になった。今度は、娘を献血に連れて行ってやる番だ。一緒に行こうと考えていたので、僕は2月に成分献血を行なって以降、まだ足を運んでいなかった。
でも、娘は先日、かみさんと街へ出掛けた際に、ふたりで献血ルームに行って来てしまった。娘は結局、腕の血管が細くて採血できず、献血をさせて貰えなかったのだそうだ。従って、今でも血液型は不明のままである。
この、腕の血管が細い、というのは、かみさんがよく言われていたことだった。だいぶ以前、一緒に献血行っていた頃、献血ルームの看護師さんからよく耳にしていた。
但し、かみさんの場合は、採血できないのではなく、注射針がとても刺しにくいというレベルなのだそうだ。いずれにせよ、娘は血管が細いという点で、かみさんによく似ていると言えるだろう。かみさんのDNA、恐るべしだw
そんな訳で結局、僕は日曜日にひとりで行って来た。息子は色々と勉強の方が忙しいので、今回は誘わなかった。どうも、息子は献血の景品で、何がしかのポスターなどが貰えるときでないと腰を上げようとしない、というのもある。
この日も僕は、成分献血をやって貰うつもりで行ったのだけれども、上述のように、先客が既に数名おられた。この方たちは成分献血希望だったようなのだ。よって、僕は全血(つまり、成分献血でない方)に廻った。
そして、400mlの献血は、ものの10分以内で終了。いつもながら、さらりと早く抜ける血のようであるw 以前、看護師さんからそのようなことを仰って頂けたことがあるのだ。
よって、問診前の待ち時間や献血後の休憩時間も含めて、全部で1時間弱の行程だった。今回貰った景品は、お目当ての卓上カレンダーと、その他にはウェットティッシュと、いつものスポーツドリンク。それがトップの写真である。
その写真に何故、レバーの焼き鳥が写っているのかというと、帰りに買って帰ったからなのだ。血を抜いた代わりに少々の栄養を付けるためである。
実は、息子から勉強用のノートを買って来て、と頼まれていたのだ。それで、スーパーに寄った。このノートは、息子が毎度「これじゃないと、数学の勉強が出来ない」と言う程の便利なものなのだそうだ。
それが、上の写真に写っている、「まとめやすい罫線ノート」というものである。イオンの系列でしか売られていないノートなのだ。まあ、これのお陰なのか、特に理数はトップクラスの成績を維持しているのだから、お安いものであるw
レバーは帰宅後、赤ワインと一緒に食した。あと、献血の帰りには図書館にも立ち寄って、クリント・イーストウッド監督のDVDを借りた。これは、渡辺謙主演の『硫黄島からの手紙』と対になっている作品である。
『硫黄島からの手紙』に関しては、そのモデルとなった栗林忠道中将(後に大将)について、このブログで書いたことがあった。今年101歳になる祖父が、栗林中将の家と親類なのである。
そんなこともあって、僕は『硫黄島からの手紙』は既に何回か観たけれども、『父親たちの星条旗』は未見だったのだ。なるほど、こちらの作品も、『硫黄島からの手紙』に負けず劣らずの結構ヘビーな内容だった。
クリント・イーストウッド監督は、『ミリオンダラー・ベイビー』など、他の作品でもそうだけれども、過酷な現実をこれでもか!と容赦なく突き付けて来るという作風があるように思う。
それが、一種の醍醐味でもあるだけれども、観ていて重い気持ちになってくることもある。その点で、『父親たちの星条旗』も、ヘビーだった、というわけなのだ。でも、良い作品であったと思う。
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それから、午後は息子の自転車の部品交換を行った。つい先日、パンク修理などをやったばかりなのだけれども、そのときに、後輪のブレーキパッドが交換時期に来ていることが分かったのだ。
取り敢えず、手持ちの、使い掛けのブレーキパッドに交換しておくことにした。下の写真は、左が今回外したパッドで、右が代わりに取り付けた使い掛けのパッドである。
左の方は、下地の金属部分が露出し始めている。このために、ブレーキを掛けると、ギギーという異音が発生するようになったのだ。それで、交換時期だと気付くように作られている。
息子は、あと半年もしない内に高校を卒業する。この自転車は最低限、そのときまでに保てば良い方だろう。もうだいぶガタが来ているのである。今回取り付けたブレーキパッドも、それまで使えれば良いのだけれども。
上は、ブレーキパッドを交換した後に撮った。よく見ると、タイヤも随分と減っている…。これも、出来れば卒業の頃まで保って…(以下略)。
あとは、先達てのパンク修理の際についでに結わえておいた、後ろのフェンダーを釣った針金の確認を。目下のところ、緩みなどはないようなので、これはこのままで行くことにしよう…。何にせよ、あと半年弱の辛抱である。
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さてさて、この投稿文の作成中、タワーレコードからCDが届きました。お待ちかねの、テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ演奏の、マーラー「交響曲第6番『悲劇的』」の国内盤です。輸入盤は既にリリース済みなので、いつもの「世界最速速報!?」とはいきませんので、レビューは明日に持ち越しといたします。もう早速、聴いていますが、如何にもクルレンツィスらしい、ダイナミックで流麗な演奏。それでいて、独自の繊細さも併せ持っているという、何とまあ幅の広いパフォーマンスなんでしょう。音質も、非常に良いです。これは、お薦め!
テオドール・クルレンツィス『マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」』(CD)
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