前回の投稿で、クリスマスプレゼントのことを書いたせいなのかどうなのか(?)、かみさんがツリーを出してくれた。
僕は幾分視力が低いのだけれども、裸眼で明滅するツリーの光を見ていると、それが良い具合にボケて綺麗に感じるものだ。そこで、どうにか写真に撮れないものかと挑戦してみた。敢えてピンボケに撮影するというわけだ。
態々ツリーの真ん前に三脚を立てて、P900を据えた。それから、フォーカスをMF(マニュアル)にして、∞(無限遠)あたりまでピントを変えながら動画を撮り、静止画を切り出した。
上は、通常のフォーカスで撮影したもの。ピンボケで撮る前の状態である。一方で、下の2枚は、謂わばピンボケ狙いで撮ったものだ。
うーん、こうして見ると、本当は写真とちょっと違うんだけどな…という感じ。実際には、もっとキラキラして見えるのだ。精確な再現は、なかなか難しいものである…。
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さて、そのようにしてクリスマスツリーを出して貰った後で、僕はウィーンフィルのニューイヤーコンサートのCDを聴きながら入浴した。指揮は、カルロス・クライバーである。
先達ての投稿に書いた、坂本龍一キョージュのコンピレーションCDに、この指揮者の別の曲目の演奏が入っていた。その曲を聴いて興味を持ったので図書館で借りてみたのだ。往年の名指揮者のひとりだけれども、僕は今までちゃんと聴いたことがなかったのである。
これが、流石に良い演奏だった。僕は普段、ウィンナーワルツやウィーンフィルのニューイヤーコンサートを余り聴かない方だ。どうも、この特有の、お祭り騒ぎ的な雰囲気に馴染めないのである。
でも、カルロス・クライバーの演奏は、唯々流麗に美しく演じることのみに専念しているようで、実に外連味というものがない。新年の狂騒など蚊帳の外のように感じて振っているのかも、とも思う。
だから、こんなやや時期外れ(?)の12月に聴いても十分に楽しめるのだろう。いや、凡百のクリスマスソングなどよりも、クリスマスツリーの音楽として似合っているかも知れないと思う程に。
これは良いなあ。暫くは、こればかりを聴いて、実に色々あったこの年の残りを過ごして行こう…。幸い、CDは1989年版と1992年版の2枚あるのだ。
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日付が変わって、きょう。午前中からゆっくり出来た。夜明け前から慌ただしく動いているいつもとは大違いである。こうして休みを取ることが出来て、大変に有難いことだ…。
実は、来週から1週間以上、いずれの仕事も休みなしで多忙となるのに備えて、僕はきょうもあしたも仕事を入れなかったのである。取り敢えず、きょうは沢山の音楽を聴きながら、来週の分のブログ原稿を書いた。
それは、来週ふいに時間がなくなったときのために、ふたつくらいの投稿を予め用意しておくのだ。内容は、ちょっと久し振りの歌詞対訳シリーズ。お楽しみに…。
それから、うちの敷地の中に生えているミントの葉っぱを摘んだ。こんなに寒くなってきても、ミントは決して枯れることもなく、せっせと自生している。人間は誰も世話をしていないのに…。
葉っぱを摘んでいる最中、青虫を見つけた。一生懸命にミントを食んでいるところだ。その手前の葉っぱにも虫食いのような穴が開いていた。そこから覗くようにして撮ったのが上の写真。
時折、このような虫食いのミントの葉っぱを見かけるのである。はて、何の虫が食べた跡なのだろうと、ずっと不思議に思っていたのだけれども、こんな季節にも青虫が活動していたとは。きっと、蛹になって冬を越すのだろう…。
ここで摘んだミントの葉っぱは、うさぎのおやつになる。うちのうさぎは、たんぽぽの葉っぱも好きだけれども、ミントも大好きなのだ。こうして摘んだばかりの葉っぱをボールいっぱいに入れて目の前に置いておく。
すると、まるで丼ものを掻っ込む人間のようにwどんどん食べる。実に良い食べっぷりである。十分に食べたら、ボールをケージの外に置いておく。ケージの出入り口はいつも、開けたままだ。
さて、うさぎは自分でケージの外に出て来て、ボールの中のミントを食べるかな?と思いきや。そうでもない。実は、外遊びの最中も、自生しているミントを自分で取って食べることは殆どしないのである。
多分、人間に食べ物を持って来て貰うということが習い性になっているのかも知れない。お行儀が良いのか、それともすっかりと飼い慣らされてしまったのか、どちらなのだろう…。どちらにしても、無心に食べる姿は可愛らしいものである。
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