ねこ用品の片付けを少しやった。こうして、ねこのものが周囲から減っていくと、ちょっと切ない気がして来るのだ…

ゆうべ、NHK-FMでブラームスの交響曲第4番が流れていた。秋には、やっぱりブラームスが似合うなあ、と思いながらしみじみと聴く。ちなみに、「“ブラームス”を秋の季語にしよう」というのは、この局の別の番組(「きらクラ!」)内での最近の話題だw

以前の投稿でも書いたけれども、手塚治虫氏は嘗て、「ブラームスにはブラウン、という風に音楽にイメージをつけている」と語っていた。
また、音楽評論家の吉田秀和氏や作曲家の三枝成彰氏は、ブラームスに秋のイメージを持っているということを、エッセイなどで述べておられるのだそうだ。僕もこれら全てに賛同する。やはり、ブラームスに似合うのは、春や夏ではなくて秋。緑でも青でもなくて茶色なのだ…。


さて、週末は、ねこ用品を少し片付けた。ごはんや水の容器、トイレなどである。トイレは屋外で、洗剤をつけて洗った。その際、その網の下から、ちいーのおしっこの染み込んだトイレシートが出てきた。
ねこのトイレは二重構造になっていて、網の上と下にそれぞれトイレシートを敷くことが出来る。上のシートは頻繁に交換するのだけれども、下のそれはトイレを洗うときくらいにしか換えない。その汚れたシートは、きっとちいーがまだ元気だった頃の跡形なのだ…。

ちいーは最晩年にはよく、トイレの真ん前でおしっこを漏らしてしまうことがあった。歩くのがだいぶ遅くなったので間に合わなくなったのかなとか、寄る年波で惚けて来てしまったのかなとか、僕たちは色々と考えたものである。

でも、このおもらしの原因のひとつに、トイレの枠の高さがあったのだろう、と今更ながら気付いた。足腰が弱って来ると、高さが約15cmあるこの枠を大きく跨いでトイレの中に入るのが、きっと大変だったのでは、と思う。
だから、せめて枠の上部だけでも外して、あと5cmくらい低くしてやれば良かったのだ。高齢のねこにも、バリアフリー化を進めることが必要だったのである。全く、僕は鈍い飼い主だった…。そんなことを思いながら、トイレを濯いだ。

今でも、家の中の何処かで、ふとゴソッという音が聞こえると、反射的に、「あっ、ちいーがいま昼寝から起きたのかな」という考えが頭をよぎる。この習慣はきっと当分の間、消えないだろう。
もう、息子の掛布団の上にも、開けっ放しのクローゼットの中にも、リビングのテーブルの下にも、窓の両側に寄せたカーテンの中にも、ちいーはいないのである。でもつい、僕の目線はその辺りを追い掛けてしまうのだ…。

上の写真でお盆の上に載っているのは、ちいーの形見となったもの。今年のGWに抜けた牙一本と、先月抜け落ちていた毛である。牙については、その当時の投稿でも書いた。iPad miniに映っている写真は、昨年の11月に撮影。こたつ布団の中で微睡んでいるのだ。
こうして、以前の写真を振り返ってみると、例年は11月になると直ぐにこたつを出していたことに気付く。でも、今年はまだ必要ないのだ。はて、暖冬なのだろうか?そのせいで、ちいーは最期にこたつを楽しむことが出来なかったのだけれども…。

上の写真は、僕の枕の上で寝ているところ。昨年の9月に撮影。ちいーは、人の寝床で昼寝するのも大好きだった。甘えん坊で、人恋しいねこなのだ。
僕は、埋葬の際、この枕に敷いていたタオルを、深さ50cmに掘った穴の底に敷いた。今でも、ちいーはこのタオルの上で眠っているのである…。

それから、この週末には、ちいーの埋葬場所に柵を設けて、あとは花園にすべく種を蒔いておく、ということに取り掛かった。花の種類も目星を付けておいたのだけれども、種が見つかったのかどうか…などなど。

その内容については、次回の投稿で書いてみたいと思う。取り敢えず、つづく…なのである。

……
今回の投稿を書いている間に聴いていた音楽は、これ。ジョージア(グルジア)出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリが弾く、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と第3番です。ブニアティシヴィリは、デビュー時にマルタ・アルゲリッチの再来と言われたのだそう。なるほど、見た目が如何にも男勝りな感じがするし、演奏も激しく力強い。僕は普段、女性ピアニストの演奏を(ヴァレンティーナ・リシッツァなど一部を除いて)殆ど聴かないのですが、ブニアティシヴィリのこの演奏には納得かも…。オケの演奏や録音状態も、とても良いと言うか、僕の好みに合っていると思う。今後の益々の活躍が楽しみです。

『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番&第3番』
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