前回は、娘が高校に合格した、ということについて少し書いた。それから、お祝いのために、皆んなで食事に出掛けたのである。
僕の息子と娘は、中3時点での模試の偏差値が、およそ20くらい差があった。(息子の方が上だった)まあ、そのこと自体は僕も予め分かっていたことだ。昨年の夏、娘の模試の結果を見て、やはり…と思ったのを覚えている。
そして、息子は私立高校へ進学し、今は2年生。娘は、先達て県立高校に合格した。ところが、である。このふたつの高校を、ネット検索でいつも上位に出てくる、とある受験情報サイトのデータで見ると、何と、偏差値がたったの5しか違わないのである。
僕の職業的な感覚では、このふたつの高校の偏差値は、実際には15~20は違うだろうと思う。つまり、そのサイトの情報がやや不正確なのである。…というか、データがだいぶ旧いのだろうと考えられる。
息子の高校は、ここ10年ほどで急激に大学合格実績を伸ばしてきた。某週刊誌の大学受験特集で取り上げられるくらいなのである。そのため、高校入試の難易度も10年前と今とでは大違いだ。
恐らく、そのサイトに書かれている偏差値は、10年以上前のまま変更していないのだろう。今や、あの偏差値では、もう誰も合格できない高校になったのだけれども、サイトの管理者は表記の変更に応じてくれないらしい。
しかし、そうはいっても、いつも検索上位に出てきてしまうサイトである。そんな細かい事情の知らぬ人たちは、きっとそのままその偏差値を信じてしまうだろうね…というようなことを、僕は食事をしながら話した。
それを聞いていた息子と娘は、この話を案の定、とても面白がっていた。かみさんのスマホを使って早速、検索し始める。すると、息子は大笑いしながら、「ホントだー。これはひどーいw」と言う。
一方で、娘は「してやったり」の顔である。これまでは、お兄ちゃんより20も低い、という認識だったものが、一気に5まで縮まったのだ。但し、あくまでも、そのサイト情報限定なのだけれども。
まあ、そんな風に偏差値の話もネタにしながら、肉や寿司などの和食をお腹いっぱい堪能できたのである。こんな風にまた、皆んなでご馳走にありつけるのはいつだろう。1年後、息子の大学合格のときかな?
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さて、その食事のあと、100円ショップに立ち寄った。野菜の種や堆肥などを買ったのである。トップの写真が、それ。あと、ねこ草の種も買った。麦の葉っぱなので、これもうさぎの餌になるのだそうだ。
帰宅後、それらの種を水に浸し、一晩待つことにした。そのとき、昨年の交通安全の景品(?)でパセリの種を貰ったのを思い出した。これも、うさぎが食べる。併せて、これも水に浸した。
それから、翌日の午前中に、種蒔きを実行したのである。使っていないプランターを大小3種類、集めてきた。うちの畑から適当に持ってきた土を、100円ショップの堆肥と混ぜ合わせて入れる。
あと、僕はドリップコーヒーの粉を、使用後はいつもベランダに出して乾燥させている。脱臭や肥料などの用途に使えるからだ。そのコーヒーの粉も、土と一緒に混ぜた。それから、種を蒔く。
中くらいのプランターに、カブとニンジンを分けて蒔いた。ねこ草の種は、一袋分でプランターひとつ分より沢山あったので、大小ふたつを使って蒔いた。あと、植木鉢には、パセリを蒔いたのである。
あとは、パセリ以外には、発芽まで覆いをかけて直射日光を避けてやる。毎日忘れずに水をやれば、これでもうバッチリだろうか?…そんな風に思って、辺りを見回すと、外で遊んでいた筈のうさぎが見当たらない。
家の裏か道の方にでも出てしまったのか?と思って探せども、見つからない。息子は定期試験の勉強中、かみさんと娘はお出かけ中である。つまり、手助けを頼める人がいない。自分で何とか探さなければ…。
ああ困ったな、と感じつつ、家の縁の下をふと見ると、何とまあ、いたのであるw 何で、こんな場所に入ったのだろう?それにしても、手の届かない、面倒なところにいるなあw
長い棒で後ろから追い立てて、やっとこさ縁の下から出した。また、そこから出たら出たで、辺りを跳び回って逃げるわ逃げるわw 僕は、うさぎに遊ばれているのだろうか?と思いそうになる程に…だった。
このうさぎは、白くて小さな可愛らしい見かけとは裏腹に、非常にアクティブで野性味がある。これは本当に、野良うさぎだったのではないだろうか?いやはや…。
上の写真は、捕まえた後で、段ボール箱に再び入れたときの状態。こう見えて、非常に不機嫌なのである。何か、ブーブーと鳴いていた。(さて、これはうさぎ流のブーイングなのだろうか?)そして、段ボール箱ごと、うさぎを娘の部屋に返したのだった…。
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今回、この投稿文を書いているときに聴いていた音楽は、これ。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』のチェンバロ演奏です。奏者は、武久源造さんという、盲目の演奏家の方。深い森の中を手探りで進んでいくような、思索的で訥々とゆったりとした演奏に惹かれます。理知的なグールドのピアノ演奏とは、ある意味において対照的な気もしますが、どちらも僕にとっては実に味わい深いものです。特に、武久さんのこの演奏を聴いていると、「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように」という仏陀の言葉を、いつも何故か思い出すのです…。
武久源造『ゴールトベルク変奏曲』
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