今朝は、NHK-FMで、テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ演奏のチャイコフスキー『交響曲 第6番 悲愴』を聴くことが出来た。いや、この曲はCDで所有している。でも、ラジオで聴くのもオツなものである。
クルレンツィスのタクトによるこの演奏は、CDのダイナミックレンジを使い切っているのでは、とまで言われる程に、最弱音と最強音の差異が大きい。豪快な演奏なのである。
特に、第1楽章で展開部が始まるところなど、ちょっと大きめのスピーカーで、そうと知らずに聴いていたら、ビックリすることだろう。まあ、それも楽しみの内ではあるw
それで、そのようなダイナミックレンジを、FM放送ではどのように放送して、聴こえてくるのだろう、というのが僕にとってのひとつの聞きどころであった。
一般的に、放送の音声には、音が急激に大きくなりすぎないようにということで、リミッターがかかっていると言われる。僕は、そのような記述をオーディオの本で読んだことがあるし、音楽業界の人からも聞いたことがあった。
さて、豪快な演奏の『悲愴』だけれども、僕は家のリビングに置いてあるラジカセで聴いた。朝食を食べるときには、いつもラジオ放送をこれで聴いているのだ。
アンテナは、付属のロッドアンテナ。利得などは余り良くないのだけれども、取り敢えずノイズが殆ど無く受信できている。ところが、クルレンツィスの『悲愴』の、あのビックリする箇所に差し掛かると、突然音が割れたのだw
多分、非常にクリアに受信できるコンディションであれば音割れはしなかったであろう。中途半端な機器と受信状態で聴いていたから、割れて聴こえたのだと思う。
逆に言えば、そんな月並みの聴き方なんかぶっ飛ばしてしまう程の演奏だったのであるw いやあ、事前にこの放送のことを知っていたら、出来るだけ良い機材を組み合わせて、聴く準備をしておいたものをw 惜しいことをした…。
この番組でテオドール・クルレンツィスの演奏を初めて聴いた人は、この『悲愴』をどう感じたのだろう。僕は昨年、他のFM局の番組で、ほんの数分だけを聴いたのが最初だった。
それは、第1楽章のいちばんビックリする箇所だったのだけれども、文字通り衝撃であった。これは実に良いものを聴いた、と思い、番組内でもう一度「テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ演奏」と言っていた部分だけ、メモがわりに録音しておいたのだ。
それで、あとでネット検索をして、僕はこの『悲愴』のCDを買った。今回のNHK-FMでの放送を聴いて、同じようにCDを買いに走った人たちが数多おられたであろうことを想像する。
このブログをお読みになっている方で、「チャイコフスキーの悲愴って、ああ、あの曲ね…」と心当たりがもしありましたら、このクルレンツィスのCDを是非聴いてみることをお勧めします。ぶっ飛びますからw
『チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」』
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上にCDのリンクを貼ったのだけれども、今回の投稿をこれでお終いにするには、まだちと早いw …というわけで、朝の仕事で聞いた話をひとつ。
僕が早朝に仕事をしている場所では、20人くらいの人たちが働いている。老若男女様々だ。その中に、Yさんという、普段は自転車屋さんを営んでいるオジさんがいる。歳は、50代半ばくらいだろう。
このYさん、なかなか話好きで、時折楽しい話を僕に聞かせてくれる。一方で僕は、朝早くのぼーっとした頭で聞いているものだから、そのときは楽しんでも、あとで思い出せなくなっていることが多い。
もしちゃんと覚えていたら、このブログでも書こうと思っていた。でも、僕は話の内容を余り記憶していなくて、Yさんに後日、「この間の話って、あれどんなことでしたっけ?」と改めて尋ねても、Yさん自身も、もう忘れているのだw
「いやあ、そのときそのときの思いつきで喋っているからねえ、もう覚えてないんですよ…」とYさんは仰る。そうやって、楽しいお話は、いつも朝の陽光と共に消えて行ってしまうのだった。
でも、今回は、僕もちゃんと覚えて帰って来たw 仕事をしながら、またYさんは、僕に話しかける。「ケサランパサランって、知ってます?」いや、僕は知らない…。
「何かのキャラクターの名前ですか?それとも、最近の流行りのギャグ?」と僕は訊く。何せ、普段はTVを見ないので、そういったバラエティ番組的なネタについては全くもって疎い。
Yさんは話を続けた。「いやあね、僕が子供の頃に流行っていたモノでね、見ると幸せになれるとか、捕まえるとお金持ちになれるとか、そういうモンなんですよ」。とって返して僕は訊く…「生き物ですか?」
「さあね、生き物なんでしょうか?こう、タンポポの綿毛のようなもので、空をフワフワ飛んでいることがあるんです。あと、雑誌の後ろの方に載っている広告で売っていたりとか…」僕は、よく分からなくなってきたw
そこに、たまたまKさんという、Yさんと同じ世代のオジさんが通りがかる。すかさずYさんは、Kさんを捉えて、「Kさんは、ご存知ですよね?ケサランパサラン」
Kさんは、「勿論。あれでしょ、タンポポの綿毛の丸い部分で、茎がないやつみたいな。捕まえるとお金持ちになれると言う…」と、さっき聞いたのと同じことを仰るw
それに対して、Yさんは、「それでね、ケサランパサランを捕まえて、ちょっとお金持ちになってみたいなあ、と思うんですよ。あはは」。「そうだよねー」と、Kさん。僕には、何のことかもう、さっぱり分からんぞw
そのあとで、Yさんはもう少し詳しく教えてくれた。そのケサランパサランを捕まえたら、おしろいの入った箱に入れておくと良いのだとか、桐の箱が好みなのだとか。
どうも、生き物であるような気がしてならないので、僕は思い切って、「それ、マックロクロスケの白いようなものですね?」と言ってみた。すると、Yさんは、「うーん」と、やや考え込む。
それから、「マックロクロスケは生きているじゃないですか。ケサランパサランは、そんな風に生きているわけではないんですよね…」とも。やっぱり分からんw
もう、20年近く前になるだろうか、『世にも奇妙な物語』というオムニバスのTVドラマで、「ズンドコベロンチョ」というストーリーがあった。僕は、この年数回の番組は観ることがあるのだ。
そのズンドコベロンチョ、ついに番組の中では何であるのか明かされずに終わった。謎のままである。今回のケサランパサランにも、何処か似たようなものを感じるのだ…。正体不明という点で。
Yさんは、「自分が子供のときに一時期、ケサランパサランがとても流行っていた」と言っていた。やや世代が異なる僕にとっては、ついぞ知らぬものであったのだろう。
でも、実に面白いことを聞いたような気がする。これは、不可思議な世界だなあ。 今でも、空を飛んでいるのだろうか、ケサランパサラン…。誰かに捕まえて貰って、その人をお金持ちにしてあげている?
(うさぎもたまに、白いフワフワとした綿毛のようなものを飛ばしますよ…)
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