日曜日、遂にジェット旅客機が、うちの真上を低空飛行して行った。それと、逝去された師匠との思い出も…

トップの写真は、アシアナ航空のエアバスA380。総二階建てという、世界最大級のジェット旅客機である。

この旅客機は、以前にも撮った。あれから4ヶ月程になるけれども、再び撮るを得たのである、夕刻に近い頃合いだったので、西陽を受けて若干きらめいて見える。
この機種は、上のアシアナ航空の他には、ドバイのエミレーツ航空などの機体が日本上空をよく飛行する。但し、エミレーツ航空は夜行なので、機体の目視が難しい。

日本の航空会社は使わないのだろうか?と思っていたところ、何と、ANAが来年(2019年)より、この機体の就航を開始する予定なのだそうである。これは朗報だ。
しかも、機体のデザインがユニーク。ウミガメの親子をモチーフにしたデザインである。ハワイ行きである故なのだそうだ。A380は、その大きさのために、羽田には発着不可能と言われている。きっと、関東では成田になるのだろう。


(出典:ANA HAWAII

さて、前回の続きをば…。連日の強風のためなのかどうなのか、羽田空港への着陸を一旦見合わせたジェット旅客機が、うちの近所の辺りまで周回飛行にやって来る、という話である。
いずれも、高度は約1400mと、かなり低い。ニコン P900のズームで撮影すると、機体の細部まで分かるようなクリアな写真が撮れる。それ程までに、近いのだ。多分、数km程度の距離だろう。

航空会社は、僕が観察して撮影した範囲内では、ANAとJALである。しかし、以前にも似たような旋回飛行を出勤途中に目撃した際には、そのいずれとも異なる航空会社の機体であった。
普段は、例えば1万mくらいの上空であったり、数十kmも先で飛行しているような機体を観たり撮ったりしているので、そのような比較的近い距離の、しかも低空で飛んでいる場面など、僕にとっては実に珍しく、コーフンそのものなのであるw

今回は、先達ての日曜日の朝に遭遇した出来事である。うちでは、日曜日には皆が寝坊をするので、朝食はだいたい8時過ぎになる。もうその頃から風は強かったけれども、窓を開けていた。
テーブルに朝食を並べていたそのときである。外から、キヒィィーンという金属的な高次倍音が聞こえてきたのだ。これはジェット機のエンジン音だ、と思い、僕はすぐにニコン P900を手にベランダに出た。

果たせるかな、うちの上空の高積雲を背景に、エアバス機が腹を見せて飛んでいたのである。やはり高度は、かなり低い。まず、それを撮った。

音だけ聞いた当初は、自衛隊機かな?とも思った。民間機がこのような場所をこんな高度で飛ぶとは思われなかったからだ。でも、ファインダー越しに見て、垂直尾翼が明らかに青い。

これはANA機だろうか、と思いつつ、もう一枚撮って、僕は機体を見送った。機は、遥か北の方へと、雲の中に消えて行ったのである…。

それから、部屋の中へと戻って、フライトレーダー24を見る。やはりANA機であった。鳥取発羽田行き。高度は約1100mだ。この機は、数十kmほど北上してから、大きくUターンしたのである。再着陸を試みるための旋回飛行であった。
これで、もう3日連続で、うちの近所を旅客機が飛んだ。遂には、こうして低空で真上まで来たのだ。実に、面白い。でも、面白がっていたのは、うちの中では僕だけだったのであるw


桂歌丸師匠が亡くなった。

僕は、息子が小学生のときに、『笑点』の公開収録に2人でよく行っていた。家族4人で行ったこともある。その当時は、応募すればほぼ必ず当たっていたものだ。

一度は、オープニングでカメラに映り込む席に、息子と並んで座ることが出来た。番組冒頭、歌丸師匠と一緒に画面に収まったのだ。上の写真が、その回のオープニングである。(但し、僕と息子の姿は、この写真の中には写っていない。悪しからず…)
それと、別の収録時には、歌丸師匠の真ん前、つまり最前列に陣取ることが出来たこともある。勿論、ある名台詞を狙ってのことだ。

それは、収録中に林家木久扇師匠がボケると、歌丸師匠が近くに座っている男の子に、「坊や、あんな大人になっちゃ駄目だよ」と言うものである。
その本番中も、やはり木久扇師匠が大喜利でユニークな回答をした。場内は大爆笑。早速、歌丸師匠は、真下に座っている僕の息子に、「坊や、あんな大人になっちゃ駄目だよ…」と笑いながら仰ったのだ。このシーンは勿論、放送でも使われた。良い思い出である。

その息子はと言えば、その甲斐あってかどうなのか(?)、高校生になって大学入試模試で全県1位を獲るまでになった。全国では20位台。実によく頑張っていると思う。
ひょっとすると歌丸師匠は、僕たちのことをもう、覚えておられなかったかも知れない。収録のたびに、色んな男の子が、あの名台詞を言われたからだ。

でも、息子にとっては、小学生の頃の鮮烈な記憶のひとつになっているだろう。そのようなことを思い出しつつ、心より、桂歌丸師匠のご冥福をお祈りしたいと思う…。

……

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