前回の投稿、何と4000字以上にもなってしまった。まあ時間があったためもあるのだけれども、テオドール・クルレンツィスについて書いていたら、つい筆が乗ってしまったのである。お読みいただき、感謝申し上げます。
僕は、自称(?)天才ウォッチャーだ。ある分野で突出した才能を持つ人物を観察し、その人について考えるのが大好きなのである。改めて思うに、クルレンツィスは、本当に素晴らしい、天才指揮者だ。
僕は、指揮者ということで言えば、例えばカラヤンやバーンスタイン、ショルティ等とは辛うじて同時代のリスナーだったけれども、テオドール・クルレンツィスと同じ時代であるということの方が、遥かに嬉しく感じられる。
カラヤンの作品は多分、レガシーとして後になってから聴いても十分に楽しむことが出来ているけれども(これは、グレン・グールドの作品も同様)、クルレンツィスの場合には、どうもリアルタイムで聴いていなければ価値をフルに享受できないような気がするのだ。
その点で、クルレンツィスは、まさしくこの時代の寵児であるということなのかも知れない。同時代に居ることが出来るこの幸運を、実に有難いことだと思っている…。
さて、テオドール・クルレンツィスに関する語録をもうひとつ私訳しておきたい。これは、クルレンツィス自身の発言ではなく、あるフランス人作曲家の言である。先日、クルレンツィスのSNSで見かけた英文を、僕が日本語に訳してみた。
“Teodor is a genius. He understands everything immediately. This is something I have never experienced before.”(Philippe Hersant)
「テオドールは、天才だ。彼は、たちどころに凡ゆる事柄ーそれは、私が決して経験したことのなかった何物かーを理解するのである」(Philippe Hersant)
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(右はテオドール・クルレンツィス。画像の出典:Facebook「Teodor Currentzis」)
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さて、先日、午後4時過ぎに図書館へもう一軒行った。この日は2軒目だったのである。そのとき、自転車からふと上を見ると、近所の桜並木の一部に、花が咲いているのを見た。
嗚呼、そういえば、以前ネットニュースで読んだ…。台風などで枯葉が早く落ちると、樹木のホルモンの関係で、桜の花が季節外れに咲くことがあると言うのである。
なるほど、それなのであろう。赤茶色く枯れた葉の中に埋もれるようにして、八重桜がポツリポツリと開いている。桜花は渋々ながら咲いているようにも見えた。少なくとも、堂々と咲き誇っているという感じではなかったのだ。
別の季節に咲いてしまった…というような気恥ずかしさ、または慎みのようなものが見て取れたのは、気のせいだろうか。枯葉と桜花という取り合わせは、どうしても不釣り合いに思えてしまう。しかし、花には何の罪もない…。
僕は、そんな一種特異な思いを抱きながら、シャッターを切る。撮影は曇天の夕方だったので、光量が不足気味でやや暗い写真ばかりになってしまった。でも、このままいつまで咲いているのか分からないと考え、一期一会のつもりで撮った。
下の2枚は、上に載せた桜とは別の樹の写真。幹の低いところから枝を伸ばし、実に小さく咲いていた。やはり、如何にも慎み深く咲くのである…。可愛らしくも感じる。
季節はもちろん秋なので、足下にはコスモスも咲いていた。コスモスは漢字で「秋桜」と書くこともあるようだ。しかし、本当の桜が秋に咲いてしまうと、これはどうなのか?w
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下は、先達て長く順番を待って図書館で借り、一読して余りにも良い内容の本であることが分かったので、買うことにしたという英文法書。レベルとしては、大学受験(中上級)〜社会人一般向けといった感じでしょうか。僕は、英語の授業での余談のネタ用にと思ってw、こうった文法書類を色々と読むことがあるのですが、本書は正にネタの宝庫のような充実振りw もう、読みどころが満載です。書名には「話すための」とあるけれども、読解や英作文等にもお薦め出来るでしょう。
『一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法』
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