きのうはNHKホールへと行ってきた。NHK交響楽団とジャズピア二スト小曽根真の演奏会のためである。曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーの交響曲第4番だ。
NHKに行くには渋谷駅からの方が良いかと思って今までずっとそうしていたのだけれども、実のところ僕は渋谷の街が余り好きではない方なのだ。すると、原宿駅からも行ける(むしろこちらの方が近い?)ことに気づいた。
原宿駅は以前のレトロモダンな感じから、すっかり現代的な駅舎に様変わりしていた。
その表参道口から出て、代々木公園の方へと歩くと、すぐにNHKホールなのである。嗚呼、確かにこちらの方が街の人混みを避けられる上にスムースに着くことが出来るように思う。次からも、このように来てみようと決めた。
開場時刻の前に到着するや、ホールの入り口には既に行列が出来ているのが見えた。老若男女が大勢だ。N響のファンも小曽根ファンも、みんな熱心である。きっと、この演奏会を待ち焦がれていたのだろう。僕も、そうなのだ。
列がある程度捌けるのを待って、僕は5分後くらいに入場した。エントランスで手首をかざして体温を測り、チケットを係の人にもいで貰う。プログラムは自分で取るようになっていた。
今回、僕はうっかりして発売日から約1ヶ月後も経ってからチケットを購入した。そのために3階席となってしまったのである。
しかし、実際に行ってみると、眺望が大変に素晴らしい。ピアノは鍵盤までも全てが見え、ステージもまた隈なく見渡すことが出来る。まるで天からの視点。余りにも良い眺めで溜め息が出そうなくらいに。
あとは、音響であろう。ピアノやオケの音がどの程度聞こえるのか。これは演奏が始まってみないと分からない。
僕は、開演までの数十分間、iPad miniのアプリで英検1級の4択英単語問題を300〜400問ほどやりながら待った。その間に、隣の席には見知らぬ人が座ったようだ。黒いパンプスに同じく黒のスキニーなパンツスタイルである。ショートカットの髪型だけが見えた。
予定時刻より5〜6分くらい遅れて開演。小曽根氏は、いつものように銀色の燕尾服風のジャケットを羽織っていた。いや、今回はカラーリングが普段と少し異なっていたかも知れないけれども、僕からはそう見えたのである。氏を迎える万雷の拍手が鳴った。
指揮者は、押しも押されもせぬマエストロ、尾高忠明氏である。ギリシャ正教の鐘をモチーフにしたと言われるピアノの和音から協奏曲は始まる。続いて、如何にもスラブ風の重厚なストリングスのパッセージ。いよいよ始まった…。
今回の演奏では、昨年の都響とのコンサートと比べて、即興小曽根節は幾分控えめであったと僕には感じられた。それでも、随所にジャジーな和声やアルペジオが繰り出され、特に第3楽章のカデンツァでは僕の名付けた「シン・ラフマニノフ」が炸裂していたのだ。
きょうも良い演奏だった。ステージ上や横のパイプオルガンの席などにカメラが幾つも入っていたので、いずれEテレのクラシック音楽の番組で放送されるかも知れない。あなたやあなたにも、是非ともご覧になってみて頂ければ、と思っている。
昨年の演奏会では小曽根氏のアンコール演奏は無かったけれども、今回はあった。一旦下げたグランドピアノの蓋を自ら上げた後、氏の肉声でチック・コリアの曲であることが告げられた。亡きチックは小曽根氏の親友のひとりである。
鍵盤を隅から隅まで駆使したこの曲は、有り体に言えば正にノリノリ。聴衆も楽団員たちの中にも、頭を小さく左右に振ってグルーブに乗りながら聴いている様子が見て取れた。素晴らしいファンサービスだ。流石、小曽根真サン!実に嬉しいことである。
20分の休憩の後、後半はチャイコフスキーの交響曲第4番である。僕はこの曲を、遥か昔に手塚治虫の実験アニメ作品『森の伝説』で繰り返し聴いた。勇壮な曲調が展開する中で木々がチェーンソーや重機によってなぎ倒され、森の小動物たちがみな逃げ惑うのだ。
3階席の特権か、この曲で重用されるティンパニーやシンバルの演奏の様子を具に観察できたのは良かった。なるほど、特にシンバルはフォルテなど音量によって手の動きを何段階も自在に変えて鳴らしているのだなあ、と見て取れたのである。勉強になるなあ。
この演奏後も、再び万雷の拍手。管弦楽でアンコールが演奏された。聴き覚えのある曲目だったけれども、僕はその作曲者も曲名も思い出せなかった。あとでN響の公式サイトをチェックすると、それはシベリウスの作品であった。
指揮者の尾高忠明氏からも肉声でメッセージがあった。氏はN響を2年半振りに指揮したと言う。勿論、コロナ禍でその間の演奏会が軒並み中止となったせいであろう。きょうは聴衆の拍手を久し振りに聞いて本当に嬉しかった、とのことであった。
僕がNHKホールに来たのは、さて何年振りであっただろうか。ひょっとすると20年近く経っていたのかも知れない。3階席もなかなかどうして良い場所であった。これからはクラシックに限らず、ここへもっと足を運んでみよう。そう感じながら会場を後にしたのであった…。
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下のリンクは、最近図書館で借りてみた本です。惹句には「全身が動かなくなる難病、ALSを患った科学者は、人類で初めて『AIと融合』し、サイボーグとして生きることを選んだ」とか「AIとの融合は、人類に何をもたらすのか。…『究極の自由』を追い続ける科学者の、現在進行形の実話」とあります。相当に物々しいですが、さてどうなのでしょうか。これから読んでみたいと思っています。
AIの普及は、そのシンギュラリティの他に、人間の生命の存在そのものの意義をも問うということになってくるでしょうね。ヒトに魂や意識があるとしたら、そのアルゴリズムやパターンをAIに学習させてコピーさせて仕舞えば、あとは肉体の代替物さえ用意するだけでアラ不思議、その人そのものがもうひとつ出来上がるということにもなりかねないのですから。まあ、簡単に実現できるようなことではないと思いつつ、案外と時代は早くやって来るのかも。本書を手にして、そんなこともまた愚考してしまいます…。
ピーター・スコット-モーガン 著『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来』