NHK-FMで4夜連続、あの伝説的な指揮者の番組を聴いた。大変に素晴らしゅうございました…

トップの写真は、久々に登場、アボガト(アボガド?)の木である。ひとつ(写真では右)は、以前も書いたように、実家の母から貰ったもの。もう、倍くらいの高さに伸びたのではなかろうか?それでも尚、細く小さな木ではあるのだけれども。

もうひとつは、僕が自分で種を植えて育てているものである。葉が一枚一枚、茶色く焼けるように枯れてはまた新たに生えてくる、ということを繰り返しつつ成長している。新陳代謝が激しいのだろうか?はてさて。
このふたつのアボガトの木をよく観察すると、か細い幹の色や葉っぱの形と手触りが異なっていることに気づく。アボガトにもきっと様々な品種があるのだろう。ちなみに、水を良く吸う木なのだそうなので、この季節は特に、なるべく毎日水遣りをしているのだ。

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もう先週のことになるけれども、NHK-FMで、4夜連続放送される特別番組「ストコフスキー変奏曲」を聴いた。
ストコフスキーは、ディズニーの往年の名作アニメ映画『ファンタジア』の音楽を担当したことでもよく知られている名指揮者である。どうやら、生誕140周年に因んで企画された番組らしい。


(出典:「ストコフスキー変奏曲」)

この番組では、ストコフスキー指揮による数々の名録音を紹介する中で、今夜は最後にリムスキー・コルサコフ作曲の「シェーラザード」を流した。
僕は『ファンタジア』以外ではストコフスキーの演奏を意識して聴くことは少なかったのだけれども、この「シェーラザード」の演奏の物凄さには驚嘆してしまったのだ。

番組の中で、ストコフスキーはオーケストラの奏者の配置を変革した、と紹介していた。聴衆に全ての楽器の音を十分に聴いてもらうためなのだそうだ。
この「シェーラザード」の演奏は、その効果が存分に発揮され、スピーカーの前にいるだけで、まるでオケのド真ん中に座っているかのような錯覚まで与えてくれる。

これを聴きながら、僕はふと、テオドール・クルレンツィスのことを思った。
この若き天才鬼才指揮者は、ムジカエテルナという手兵のオーケストラの録音の際、パートごとに別チャンネルで演奏を収録し、その後コンピューターを用いて、イメージ通りの音楽になるよう1年も2年も費やし、自身の手によって其々の音を細かく調整しつつミックスしていくのだ。それによって、クルレンツィス特有のあのド迫力の演奏が最後はCDに吹き込まれるというわけである。

手法こそ違えども、ストコフスキーは何十年も昔に、現在のクルレンツィスが目指す音楽の方向性というものを既に確立していたのではないかと思えてきたのだ。
ブ厚い音でオーケストラを響かせ、リスナーに聴かせたい音は遍く全て聴かせて、迫力のあるドラマチックな演奏に仕上げる。しかしながら、ストコフスキーの時代には今のようなハイテクノロジーはまだ存在していなかった。

そこが、ストコフスキーの謂わば凄みであろう。いやあ、まさに凄い!完全アナログの時代に、これだけの音を残すことが出来るとは!
『ファンタジア』だけの人ではなかったのだ。演奏と録音にこだわった職人的なマエストロとして、もっと高く評価されても良いと思った。

ちなみに、余談ではあるけれども、いま手元にある『古くて素敵なクラシックレコードたち』という本を読むと、著者の村上春樹氏は、このストコフスキー指揮(ロンドン交響楽団の演奏)による「シェーラザード」を、「かなり芝居がかっている」「いささかやり過ぎじゃないか」「こういうのちょっと勘弁してほしい」等と、とにかく散々な評価なのであるw

聴く人によって、まあ感性の違いというか何というか、こうも評価が変わってしまうものなのだなあ、と僕なんかは、この本を読んで感じるのであった。そういったこともまた、クラシック音楽という精緻で懐の深い芸術を楽しむ上での醍醐味であろうか、とも思う。


さて、「ストコフスキー変奏曲」の第2夜も聴いた。今回は、ムソルグスキー作曲の『展覧会の絵』をストコフスキー自身が編曲(オーケストレーション)と指揮した演奏が流れた。

有名なラヴェル編曲とは一風異なった、かなりドラマチックな迫力がある素晴らしい作品だった。ストコフスキーは編曲家としても実に優れた手腕があったのだなあ、と感じ入ったのであった。


そして、第3夜も聴いた。今回の放送で特に良かったのは、ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第5番(第4楽章のみ放送)とラフマニノフ作曲の「ヴォカリーズ」だった。

相変わらず、オーケストラの聴かせ方が素晴らしい。とてもウン十年前の録音とは思えない厚みと迫力だ。もし現代にも生きていて最新の設備で収録していたら、どれだけ凄いことになっていただろうと、つい夢想してしまいたくなる。
(当該楽曲の動画は見当たりませんでしたので割愛いたします…)


さてさて、「ストコフスキー変奏曲」の4日目。最終夜である。
今回は、バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」(ストコフスキー編曲のオーケストラ版)、ベートーベンの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第4番(第4楽章のみ放送)と、僕の好きな曲ばかり流してくれた嬉しい放送だったのだけれども、白眉なのは何といってもグレン・グールドがソロを務めたベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」であった(第2楽章のみ放送)。

しかしまあ、その美しいことと言ったら!これはベートーベンではなくて、ラフマニノフ作曲の緩徐楽章なのでは⁉︎と錯覚しそうになる程、ロマン主義的な美を持った演奏なのである。

シルクのように白く柔らかな波を打つ静謐な管弦楽の上に、まるで真珠とも感じられる際立って粒の揃った音が真心を込められグールドの手によってひとつひとつ奏でられてゆく。
指揮者とオーケストラ、ピアニスト、それら三位一体の極致を見る思いに至る演奏だ。大変に良いものを聴いた。これからも是非、愛聴したいと思う。(下の動画では、22分頃から第2楽章です)

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ところで、村上春樹氏といえば、同じくNHK-FMで3週間(15夜)に渡って、氏の短編小説2作品を朗読するという番組が放送されました。その2作品とは、『女のいない男たち』より「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタディ」です。
僕は高校から大学にかけて、氏の小説を幾つか読んだことがあるという程度で、今は上述したようなクラシック音楽関係についてお書きになった本しか手に取ったことがありません。あとは、氏が原作の映画を楽しむくらいです。従って、口が裂けても自分のことを「ハルキスト」とは言えない立場です 笑。
でも、今回NHK-FMで放送された2作品の朗読は、次の日が思わず待ち遠しくなるくらいに面白さがありました。読み手であるおふたりの役者さんが実に巧みであったということが大きかったのかも知れません。何と言いましょうか、映画やラジオドラマを楽しんでいるような感覚もありました。
そこで、普通は次に「では、原作の本を読んでみよう!」という行動に移すことになるやと思うのですが、僕の場合、氏の文体が脳裏に焼き付いて離れなくなってしまう(昔はよくそうなったw)ので、敢えて英語に翻訳されたものを読むことにいたしました。下のリンクが、『女のいない男たち』の英訳版です。先ずは、物は試しでサンプル版をKindleにダウンロードしてみました。
早速、読んでみると、幾分の口語的表現があるものの、整理された読みやすい訳文で、普段は英語で小説を余り読まない(…というか、日本語でも余り読まないw)僕でも読み進められそうだ、ということが分かりました。製品版を買うのはこれからですが、Kindle版にしようか、ペーパーバック版にしようか、ちょっと迷っています…。

『Men Without Women: Stories (Vintage International)』
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