ちょっと読書三昧の日々。老子の超訳から始まった探求は、この境地(?)にまで至ったのだ…

僕は週に一回ほど、都内にあるIT企業に通っている。
そこは僕が本来勤務している塾の創業者が社長を務めている会社で、創業者ご夫妻から僕は何故か「コンピュータ関連の得意な人」という覚えを頂いているため、人手の薄くなる曜日に謂わばお手伝いに行っているというわけだ。

多くのベンチャー企業にとってよくあることだと思うのだけれども、ここも人の出入りが割と激しい。つまり、途中から新たに入社する人もいれば、ポジションに拘らず辞めていく人もいるということなのである。それは時によって、数ヶ月ごとに起きている。

先週も出社してみると、僕が普段座っている席の隣に見知らぬ女性が座っていた。
また新しい人が入ったんだな、と思った。席に着くと、僕は名を名乗って挨拶した。この方はどうやら、関西出身のディレクターが先月「俺の秘書にするんや」と言っていた人なのだと分かった。そのとき、写真付きの応募書類をチラッと見せて貰ったからである。

その人は、台湾出身のSさんという。日本語を中学生の頃から20年近くも学び続けてきたのだそうだ。日本語で書かれていた応募書類は、ネイティブである日本人でもここまで整然とは書かないかも知れないと感じられる程、実に整理された美麗なレイアウトだった。
これを見せられただけで、この人は仕事が出来そうだという期待を読み手に与えるには十分な出来栄えだったのである。ディレクターが秘書にしたいと思うのも無理はない。日本語も流暢に喋るのだ、とも言っていた。

さて、仕事を始めてから暫くして、Sさんが僕に話しかけてきた。「あの、お名前をもう一度よろしいですか?」
僕は、手元にあったメモ用紙に自分のフルネームを漢字で書き、それを見せ、鉛筆で一文字ずつ指し示しながら読んだ。Sさんは、紙の角度に自分の顔のアングルを合わせるようにして首を傾げ、うんうんと頷いている。きっと初めて見る苗字なのかも知れない。

それから、「お年はおいくつですか?」とも訊いてきた。この質問は僕にとって、一種のFAQだ。初対面の人や塾の生徒たちから頻繁に尋ねられるのが、これなのである。どうやら僕は、見た目がどうも年齢不詳気味だから、ということらしいw
僕は普段のように、相手に考えて貰おうと思った。つまり、クイズっぽく当てて頂くという楽しみ方である。ちなみに、ズバリ正解できた人は誰もいないw しかし、どうであろう。このときディレクターが口を挟んで直ぐに答えを言ってしまったのである。もうっw

Sさんは、仰天するかのように驚き、「私、それより10歳以上若いと思っていました」と言った。こういった反応も僕にとってはよくあることなのだ。それから、「白髪がないですよね、それで…」とSさん。いやあ僕、最近チラホラと生えてきているんだけどねw
そんな感じで、かなり人見知りな僕でも、Sさんとは徐々に打ち解けてきた。Sさんは少なくとも今月は僕と同じ曜日にも出勤してくるようなので、仕事のためにもよく知己を得ておいた方が良いだろうと僕は考えるのである。気さくな人で良かった、とも思った。


以前の投稿で載せた紫陽花の写真を、ここでもう一度…)


さて、僕は最近、ある方が書いた本にハマっている。
この方、元は黒澤一樹というお名前(本名?)で老子の思想を超訳した書籍をものしておられたのだけれども(その本については、こちらの投稿の最後をご参照)、雲黒斎という奇妙で不思議な(?)別名でも何冊かの本を出しておられるのだ。そちらの名前では、所謂スピリチュアル系とも言える内容のものが多い。

しかしながら、単なるスピ系というわけでもなくて、一応は専門的な基督教神学を学んで修めた僕のような人間にとっても、十分に得心がいく内容の本ばかりなのである。一冊読んではもう一冊、という感じで、目下3冊目に突入している。
その3冊が、トップの写真の書籍である。この中で僕が最初に読んだのは、「あの世に聞いた、この世の仕組み」(黄色い装丁の本)だった。黒澤一樹さんの老子の本が余りにも面白かったので、この人が書いた本をもっと読みたいと思って探したのだった。

「あの世に聞いた、この世の仕組み」は、うつ病が原因の記憶障害となった黒澤一樹さんが精神科で処方された幾分強い薬を飲んだ後、この方ご自身に起こった不思議な経験が発端となっている。平たく言ってしまうと、一種の霊的体験があったのだ。
その体験の中で黒澤一樹さん(=雲黒斎)は、この世とは?あの世とは?自分とは何か?生命とは?といったような極めて根源的な問いに対する回答を与えられていく。それを対話の形式でまとめたものが、この一冊というわけなのである。

この本は、彼此十数年前に刊行されたものなのだけれども、寡聞にして僕はその存在を知らなかった。まあ、その当時の僕は基督教神学の勉強にかなり熱心に取り組んでいたので、この手の書籍の情報や噂が目にも耳にも全く入って来なかったのかも知れない。
そして、その後の僕は次に、日本語教師の資格試験に向けた別の勉強に入れ込んでいた。やはり、このときはこのときで、日本語学の本ばかり読んでいたために、他の分野の本など一切、目に入らなかったのだろう。まあ、僕はそんなもんなのであるw

ちなみに、この「あの世に聞いた、この世の仕組み」シリーズ2冊は、文庫版の帯にある惹句によると「15万部のベストセラー」なのだそうだから、出版不況が叫ばれて久しい昨今の中では売れた方なのではなかろうかと思う。
そのようにして考えると、人との出会いのみならず、本との巡り合わせというものにおいてもまた、「時がある」のではないかと感じられてならない。(ちなみに、「何事にも時がある」とは、旧約聖書の「伝道者の書(コヘレトの言葉)」にある有名な格言である)

それから次に、黄色の本の続編である「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」(緑色の装丁)を読んでいる。内容の方向性としては基本的に前作と同じで、例えば、人生やこの世について、般若心経の超訳などなど話に広がりが出ているという感じだ。
こちらの本については、著者ご本人による朗読動画があるので、是非ともご覧いただければと思う。雲黒斎さん、なかなかにして良いお声で、尚且つ朗読がお上手なのである。もし2冊とも全部読んだら、オーディオブックとしても売れるかも…w


(文庫版と電子書籍版に収録(単行本には未収録)の「第11章」の朗読です)

そして、もう一冊。上記の黄色い本と緑色の本の内容を一遍の物語としてまとめたのが、「極楽飯店」だ。トップの写真では、箸をあしらった装丁となっている。こちらの本もまた、内容が実に秀逸だ。一層、啓蒙的であると言えるだろう。
この「極楽飯店」は特に、どこかが企画して、いずれ映画化かドラマ化したら面白いのではないかと思う。3冊のうち、この1冊だけ文庫化されていないということは、まだ十分な売り上げがないということなのかも知れない。でも、これもまた非常に注目すべき一冊なのである…。

……
まだまだ、上の3冊については語り足りないのですが、是非とも色々な人たちに手に取って頂きたいと感じてやまない本なのです。特に、「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」の第3章「人生は『苦』なり」に出てくる、「何故、この世に苦しみや苦難があるのか?」ということについて、基督教の三位一体や創世記と絡めながら説明している数ページのくだりが白眉。僕なんぞは、基督教神学を学んでいるときに、この世界を説明する上できっと神学以上の理論はないだろうな、と思っていたのですけれども、何と、ここにありましたねw これ、神学を超えているかも。いやあ、この本を読んでいると、とにかく良い意味で、人生観が変わりそうです。この世界を観る目も、他の人たちへの見方も変わりますね。何といったって、あなたやあなたは、実は「私」なのですから…。

雲黒斎 著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み (サンマーク文庫)』
……

PAGE TOP